2007年08月09日

立ち位置

子供たちが喧嘩をして、泣き出して、どちらかが私のところへ状況を伝えてくる。

私はこのとき、共感して、一緒になって悲しんだり腹が立ったり(喧嘩が始まった時点でそりゃそんなことしたら怒るだろ!とかすでに一緒になって腹が立っている)することが多い。

でもこれって、もう1人を悪者にしてしまっている。

逆の立場から見ると、相手が怒るようなことをするにはそれなりのわけがあって、それはそれで理解できる。

で、お互いの気持ちを理解すると、私はどっちの味方にもなろうとして、どっちの味方にもなれずになんとかして収めようとしてしまって、結局私自身の怒りに火がついたりして泥沼化・・・というのが毎度のパターン。



これって、以前書いた「悩む権利」とも繋がるけど、入り込み過ぎてるんだなあ、と思うようになってきた。

共感とか感情移入とか、そこまではまあ、感情を理解できるからいいとしても、そこで感じている感情をまるまる私が引き受けて私の問題にしてしまっている。それで、私自身ならこう解決する、という「答」を渡そうとして、受け入れてもらえないと。

子供たちが「答」を受け入れられないことは仕方がない。

じゃあ私は違った対応を考えないと私自身がうまく感情を収められないわけで。



ちょっと違った視点からのアプローチ。子供たちは私に感情移入を望んでいるだろうか?

私は子供たちの話を聞いている時、ほぼなりきって感情を顔に出していることが多い。悲しい顔とか悔しい顔とかになっていると思う。

これって、子供は嬉しいだろうか?

感情を理解してくれるのはきっといいだろう。でも、お母さんまで一緒になって悲しがられたいか?

そんなことないんじゃない?

そっかー、悲しかったんだね。でも大丈夫だよ。って笑っててくれる方が嬉しくない?

悲しい時にお母さんが悲しい顔をする、って、「悲しいと感じたらお母さんが悲しむ」→「悲しいと思っちゃいけない」のメッセージになっちゃうんじゃない?私が本当に目指している「悲しい時は悲しくていいんだよ」になってないんじゃない?

と、そんなふうに。

まして、怒ってる時にお母さんが怒ってる、って、ねえ。私が怒ったらお母さんが怒り出す→怒っちゃいけない、ってなっちゃう。

私が目指してるのと違うじゃん。



お母さんの表情を見ている子供にとって、笑顔はOKのサイン。怒り、悲しみはNGのサイン。

やっぱ笑顔が大事なんだな〜。



そのためには、悲しみや怒りに共感したら、一歩引いた立ち位置で、笑顔で、ってできるといいんだけど。

仲裁者にならず、裁判官にならず、ただそれぞれの感情にOKを出す。それができたらいいんだけど。

結局それはどうやったらいいんだろうなあ。という状態。(^^;



とりあえず今日思ったことでした。
posted by 蝉ころん at 23:38| Comment(2) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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