2007年07月14日

狭い世界

夫は昔から、私の話をあまり聞きませんでした。

話をして盛り上がることと言えば、同時に体験したことが話題に上がっている時か、同じような体験の話、共通の友人の話。あとは、夫だけが体験したことの話をただ肯定して聞いているだけのとき。

私だけが体験したことを話しても、視線があったことはないし、いつも何かをしながら気のない相づちが返ってくるだけでした。

そのうちに思うようになったのは、私の体験なんかつまらないことだから仕方ないな、という自己卑下。

そして私は夫に体験を話さなくなっていきました。

それでも夫はなにも変わらなかったので、やっぱり私の体験は夫には不要だったんだな、と思っていました。そしてますます話さなくなっていきました。



ちょっと前に思ったことは、この人は私に興味がなかったんだな、ということ。

私が何を体験していようが、楽しんできたんであろうが、つまらなかったんであろうが、そんなことが問題なんじゃなくて、夫にとって私自体がつまらないものだったんだな、と。

実際、夫が私に望んでいたのは、家政婦、娼婦、チャイルドシッター、妻、という役割だけ。そこに「私」という個性はいらなかったといっていいです。

だから私がその役割を満足に果たせなくなったら、あきらかに行動がおかしかったはずの私の心配よりなにより、家をまわす機能の回復だけにやっきになっていました。そこにあるはずの「家庭」という箱さえちゃんとしていれば私なんてどうでもよかったんでしょう。

最後に少しでも私の心の回復に援助しようとしていたのさえも、それが回復すれば家が回るからであって、私の心配などこれっぽっちもしていません。それが証拠に、私が心は回復し出しているけど実務能力まで回復するにはさらに時間がかかると言った次の週に離婚話です。この人は本当に私の心はどうでもよかったんだなと。



そして最近気付いたこと。夫は、自分が今まさに感じている世界以外にまったく興味がないということ。

それはなにも私に限ったことでなくて、今まさに一緒に遊んでいるはずの子供に対しても、子供が自分の世界に集中していて夫との接点がなくなれば一瞬で夫の世界から外されるんです。

今パソコンの情報に集中していれば、そのまわりで起きている全てのことが夫の世界から抹消されます。パソコンから目を離して意識を家族に向けた瞬間に、彼の世界に家族が登場するんです。

新聞に集中したい時にテレビの音がうるさければ、その時見ている周りの人たちはすでに夫の世界にはいませんから、考慮する瞬間もなくテレビを消せます。そこで誰かが夫に対して苦情を言えば、その声が聞こえた瞬間に発言者が夫の世界に登場するのです。

そんな世界に、彼は生きているように思います。



彼から子供たちに興味を示す時は、子供たちが楽しそうにしている時ではなく、自分が子供たちに笑顔を見せて欲しいとき、それだけ。しかもそれは、子供たちが自ら楽しんでいるとか私と楽しく遊んでいる場面ではなく、夫が楽しませた時の笑顔に限ります。あくまで自分の周りで自分が関わって起きている場面でなければいけないんです。

子供たちは、泣いていても無理矢理笑わせられて、泣き止ませられます。夫は泣かれているのがいやだから、なぜ泣いているのかよりもまず笑わせようとします。子供の気持ちは見ていません。

気持ちは見えないものだから。

笑っている顔が見れたら、それは楽しいからのはずだから。俺があやしたら笑った、俺があやしたら泣き止んだ、それでいい。

そして私のことは、見える範囲に入れる意味がないから見ません。私からは何も得るものがないからです。私を見る時は、家が回っていない問題を解決させるために視界に入れるに過ぎないんです。



表に見えているものしか見ない。自分に接触してくる人間しか世界として意味がない。意味のない世界は見ない。見たい世界がない時は、寝てしまえば、世界を抹殺できる。



こんなふうに書くと言い過ぎのような気もしますけど。この人は実はものすごく狭い世界に生きているんじゃないだろうか。そんなふうに感じるんです。

私はこんな世界に登場したくないです。
posted by 蝉ころん at 23:55| Comment(12) | 夫を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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