2007年04月25日

イベントのあと

週末のイベントでのことが、まだちょっと尾を引いています。

昨日は、同じイベントでのできごとで、メンバーが抜けることになって、その影響を受けていました。私の問題じゃないのに影響を受けてしまうところに、まだまだ分離できてないんだなあ・・・なんて思ったりして。

そのメンバー、つい2・3ヶ月前に、私が別のやめたメンバーの代わりに担っていた役割を委任したばかりだったので、また後任がなくなる・・・、そういう面でもショックでした。やめるというはっきりした宣言もなく、ただ私だけに打ち明け話的に話すだけでやめられてしまって、どうしたらいいんだろう?と困りました。近所の方なので、あとにしこりを残したくないという思いもあります。

今日になって、ちょっと吹っ切れた感じです。他のメンバーには私が聞いたそのままを話せばそれでいいかー、と。私1人で背負うことないし。

やめる人にとっては役割なんてもう何の意味もないことなんですよね。やっている人たちのための役なんだから、恩恵を受けるメンバーの中でどうにかするべき問題ってことで、いいんですね。会社組織とかだとそういうわけにはいきませんけど、ただの趣味の集まりだしね。

ということですこし気が楽になりました。



それで、前回書いた、私がへたった事件(大げさですが)でもう一つ気付いたことを書いておきます。



役割を降りて休憩にまわったあと、ぽつぽつと心配して声をかけてくれる方々がいました。その時はあまり深く考えなかったんですけど、なんだか不快な人がいるんです。

後で考えたら、私の状態に関して「こうこうこうでこうなったんでしょ、そうそうよくあるの、しっかり休んでなさいよ」のように決めつけていく人でした。私の状態は、私が一番わかってるんですが・・・なんで私に聞かないで勝手にその対処法まで指示していくんだろう・・・。こういう人にはいくら心配してくれていても、なんとなく、私を見てない、置いていかれているような不安を感じました。

逆にかなり強い口調でも、どうしてこうなったのかをこちらが状態を説明するとちゃんと聞いて理解してくれて、私の判断を尊重してくれる人には、頼もしい安心感を持ちました。

素人判断で勝手にしてはいけないこともあるから、経験が豊富な人の言うことが正解だったって場面もあるから、一概に本人の判断が正しいとは言えないんですが・・・。

こういうときこそ、話を聞いてくれるかそうでないかで、印象も変わるんだなあ・・・と思いました。問題を見ているのか、人を見ているのか・・・ということなのかな。

人のこといいつつ、私もよくやってる気がします。(^^;
posted by 蝉ころん at 10:35| Comment(0) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月23日

限界までいっちゃう体質

この週末、イベントがあって私も参加したんですが、また少し私の問題点にぶつかりました。

団体で参加するものだったんですが、私の担当している部分の代わりのメンバーがいなくて、1人で担うことになったんです。それでも、他の人でもまったくできないことではなかったし、楽しく参加するのが基本のイベントなのにも関わらず、私は1人で背負い込み過ぎてしまいました。

体力的、精神的に限界が来て、途中で泣きたくなってしまい(まだうつからも脱しきれてない証拠でしょうか?)、へたばってしまいました。結果として、みんなに迷惑をかけて、心配をかけることに・・・。申し訳なかったです。

大勢が関わるようなものに参加するとき、周りのこと、自分に求められていることばかり考えてしまって、自分の能力の限界を考慮しないところがあります。

ちょっとこの辺、体育会系出身でそういう思考回路が身に付いた面があるとは思うんですけど、能力もないのにそこまでされても周りには迷惑ですよねえ。というか、引きますよね。(^^;



で、「能力のない私」が情けない、と自分を責めそうになって、気付きました。違いますよね。実は能力がない、っていうことを自分で知ろうとせずに、自分の力を過信してなかったか?ということ。限界が来る前に、自分からメッセージを出していれば、へたばるところまで行かずに助けてもらうこともできたのに。

自分の限界を自分で設定できてなくて、他人に委ねてしまっていた(大丈夫?休憩する?なんてセリフを無意識に期待していた)んだなあと思いました。

そして、子供を産む前の私なら、ここで「能力のない私」を責めることから逃れるために、他人を批判していたと思います。なんで気付いてくれなかった、ここまでなるまでに止めてくれたらいいのに、なんて。違いますよね。「辛い」ということは自分で感じることができていたんだから、その時点で回りに伝えていれば良かっただけ。それをせずに抱え込んでいたのは私だし、私が辛いことに対して、改善を図るのは私自身の役目でした。



こういうことを、1人ぽつんと休憩しながら考えました。

「つらいから休みたい」って一言、それだけでよかったんだね。「もう無理」って言ってよかったんだよね。能力は人それぞれなんだから。

それで「まだいけるよ」「もうちょっと頑張りなよ」なんて言ってこちらの限界を理解してくれない相手なら、伝える相手を変えるなり、改善方法を提案するなりもできるし、それでも誰もわかってくれないなら、やっていけないからって抜けてもいい。

人に助けを求めたり、自己主張するのがやっぱり苦手なんだなあって、気付いた週末でした。前向きに捉えることができたものの、今の生活にシンクロし過ぎて、ちょっとどよ〜んとしてます・・・。

でもただでは転んでないですね。気付きがあったし。(^^;

それと、いっぱい心配させて申し訳ない、って思いが強かったけど、いっぱい心配してもらってありがたい・・・そんなふうにも少し思えて。それが嬉しかったです。
posted by 蝉ころん at 10:06| Comment(4) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月20日

新生活のいろいろ

下の子が保育園に通い出してから2週間が経ちました(正確には慣らし保育を含めて3週間)。

今日はやっと下の子のお昼寝用に出しっぱなしだった布団をしまうことができました。

しまう気になれなかったんですよね。

それから、昨日までは1人の時間も付けっぱなしだったテレビ。今日は、送って帰ってきてからも付けないでいられています。

やっと、家で1人になったことを受け入れることができたみたいです。思っていたより影響が大きくて、自分でも驚いています。1人でのびのび色々するようになるかな、と思っていたんですけど。

子供と離れるって、こういうことなんですね。淋しいと思っているつもりもないのに、何も手につかないまま、時間の進むのが異様に遅く感じたり。それでいて、上の子が学校から帰ってきたとたんに別人のように元気になるし。ぽっかり穴があいた、とよく言いますけど、大きな穴、という感じもないし、どっちかというと自分がスポンジになったみたいな感じ?自分で自分が不思議です。

でもそんな不思議な私もそろそろおしまいみたいで、ちょっとホッとしています。



当の子供たちはすっかり新生活にも順応して、元気に通っています。

下の子は、一日だけ泣いた日があったものの、こちらが拍子抜けするくらいあっさり溶け込んで、すっかりリラックスして過ごせています。お迎えにいっても帰らないと言い張るし、家に帰ってもとくにぐずったりもせず、以前のまんま。1ヶ月くらい泣かれるかも、って覚悟してたのがバカみたい。でもいい方に裏切られた感じです。そうそう、もうお気に入りの男の先生もいるらしいです。(^m^)ププ。やっぱりこの子は心配ないわ〜。

上の子は、学力がもともとわりと付いていたので、開始早々、授業が面白くないようです。(^^;; 宿題も既にやる気なしだし・・・ちょっと困ってます。でも、つまんないとか、やりたくないとか、言うようになっただけでもよかったなあって気持ちもあって、どうしたらいいか、複雑です。学力があるだけにね、しなくてもまあいいけど・・・と思ったり、いやいや、学習の習慣付けは大切だし!と思ったり。追いつめない程度にせっつくくらいかなあ・・・難しいです。

それでもクラスメイトとも仲良く出来ているようだし、今のところは順調です。もうすぐ参観とか家庭訪問とかあるので、どんな先生なのか、様子を見て相談してみようと思ってます。



夫はまあ、新生活関係なしでいつもの通り。

といっても、卒園、入学、入園の時はいろいろやらかしてくれました。

式の前夜に飲み会で、深夜に酔っぱらいを連れて帰って寝かせるって、あり得ませんよね?朝起きたら玄関に見覚えのない靴があって、夫が寝ている部屋と別の部屋に人の気配が・・・。あり得なさすぎてきちんと問題にしなかったのが悔やまれます。きっとOKにとられちゃってるよ(><) しかも式当日は二日酔いで酒臭い上に寝不足で居眠りまでするし・・・。所詮こんな男だったんだ。立派に式に臨んだ子供に恥ずかしいと思えーーー!

ああもう、はっきりガツンとしてやれなかったのが悔しい!おめでたい日でさえなければ・・・って、絶対狙ってやってますよねヤツは。

なんか最後にいらんこと書いたら記事が台無しだわ。ごめんなさい。(^^;
posted by 蝉ころん at 09:33| Comment(4) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月19日

4/19の肯定

母と電話して、いつものたわいもないおしゃべりの後、私側から切りをつけて電話を切ることができた。

いつもなら母の方になにか用事が出来るまできっかけもなく延々と続くんだけど、自分からきっかけを作ることができた。

それから、この電話の最中、あー、私、お母さんの母親役してるな、って改めて思った。

母がこの時になって始めた趣味のこと。いつものようにたくさん話してきた。嬉しそうに、出来るようになったことを報告してきた。私は、うんうんって、聞いて、褒めて、認めてあげてた。

これ、私がお母さんにして欲しかったことだね。お母さんもきっと、子供の頃にして欲しかったことだったんだね。

しょうがないなあお母さんは。もうそれでもいいよ。そう思えた。



ちょっといつもと違う感じ。また一歩進めたかな。
posted by 蝉ころん at 11:49| Comment(0) | 本日の肯定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

母の気持ち

私は子供をかわいがるのが苦手です。そんな自分を、なんかキャラじゃない、こっぱずかしいなんて言って逃げていました。

私はそういう人間で、そういう感覚がよくわからないんだから仕方ないって思ってました。私自身もそんなふうに育てられたんだし、別にそれでもいいじゃないって。

昨日の記事にもらった小麦さんからのコメントがヒントになって、母が本当は心の底に私たちをかわいがりたいという気持ちをもっていたんだということが理解できて、なんだか自分の気持ちにも変化がありました。

かわいがっていいんだ、って、そう思えました。かわいがりたいって。

しばらくはそう素直に出せないだろうけど、かわいいって、思っていいんだなって。

私にもこの気持ちがあったんだって思いました。



母はずっと、私たち兄妹には厳しく、他人の子供にはものすごく優しかったけど。それは全く外面でなく、本当に心から優しくて、本当の子供の私はいつも強烈な嫉妬を感じていたけど。これは私たちに向くはずだった優しさでした。母が自分の中に持っている「母親像」に縛られて、素直に正直に私たちに向けることができなかったらしいです。

ばかだなあ。向けたらいいのに。子供も望んでるのにね。おおばかものです。お母さんだって、2人しか子供を育てたことのないただの不器用な母親だったんですね。なんだか、完璧な母親なんだって思ってましたけど。

やっと母を許せそうな、そんな感じです。少なくともこの件に関しては。

嬉しいです。嬉しくていっぱい泣いちゃいました。でもほんと嬉しい。(^^
posted by 蝉ころん at 09:56| Comment(2) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月18日

チャイルド出現

子供と衝突しました。というか私の爆発の方が大きいんですが・・・。

どうも、私の頭の中で子供たちどちらかと予定している計画を、もう片方が独断で行動したことでおじゃんにされると無性に腹が立つんです。

いっぺんにスイッチが入ります。

以前から、友人関係なんかでも感じてはいたことなんですが、どうも私は1対1の関係にものすごくこだわっているようで、それが誰とのことでも、間に入ってくる3人目に怒りを感じるらしいです。

1対1の関係って言ったら、やっぱり母親との関係・・・。私、そんなにも兄や父に母を奪われていたってことなのか??と考えていったら、またもや涙がボロボロと出てきました。

やっぱりそういうことみたいです。

こういう状況で私が恨みを持っているのは兄と父。そして、それを許し続けた母。私が不満を持っていないものと決めつけて、私に重荷を押し付けた母。私は物心ついた時には既にそういう役回りでした。



そんなに悲しかったんだね。悲しいこともわかってもらえてなかったんだよね。わかってほしかった。でもお母さんは家を平穏に保つのに必死だったね。どうせあの父がいたら平穏になんかなるわけがないのに。お父さんのために言うことを聞かされた場面がたくさんあったね。

私の誕生日のはずなのに、お父さんがその気になったらいつでもぶち壊しだった。そして、ぶちこわしたお父さんに合わさせられた。お父さんなんか放っといて私を見て欲しかったよね。

お兄ちゃんはいつも新しいことを真っ先にさせてもらえた。褒められていたね。よくできるって。でも私には絶対にさせてもらえなかったね。「お兄ちゃんの年になったらね。」いつもそういって、私がその年になった頃にはすっかり忘れ去られてた。そして、私には順番は回ってこなかった。私はね、お兄ちゃんがしてたその時に、私も出来ることを見せたかったよ。私だって褒められたかったよ。出来るんだ、すごいねって言って欲しかった。

お母さんもお父さんも、すごいねって思ってたんだって。この子はこんなにちっちゃいのにこんなにできるって。でも言わないようにしていたんだって。お兄ちゃんの兄としてのプライドを守るために。私のプライドは?私だってできることを褒めて欲しかったよね。言ってくれなきゃわからなかったよね。

いつでもお兄ちゃんは私が取り組んでいることを横からかっさらっていったね。そして私が返してっていっても最後までやっちゃうまで返してくれなかった。お母さんは、なんだって「お兄ちゃんが先」だった。なんで私には全部種明かしが終わってからしか回ってこないの?誰も注目しなくなってからしか回ってこないの?私だってみんなに注目されて格好いいところ見て欲しかった。

お兄ちゃんのおまけは嫌だったよ。言うことを聞かされるだけの役は嫌だったよ。私を私として見て欲しかった。私にも活躍の場を与えて欲しかった。お母さんに見ていて欲しかったよ。お父さんなんか捨てて欲しかった。



久しぶりにボロボロ出てきました。いっぱい涙でちゃった。

やっぱり強く恨みを持っているのは母に対してみたいです。理不尽な行動する父や兄よりも、それを受け入れることを私に求めてきた母に対して。父や兄は無邪気に好き勝手してるだけなんです。受け入れたくなければ受け入れなくてよかった。でもそれで振り回されている母は、より動かしやすい私に言うことを聞かせて、その場を保つのに利用していました。

私も兄も、そして母も、家庭のための道具でした。ばかみたい。うん。ばかみたいって、思ってました。子供の時から。なんのためにこんなことしてんだろって。

私はずーーーーっと母に私を見て欲しかったんですね。子供が出来てから、孫にはすごくいい顔をしている母。もちろん本心からなんですけど、私はずっと複雑でした。焼きもち焼いてたんですね私。母に対しても子供に対しても両方。

「私の時にはそんなに私を見てくれなかったくせに」ってのと、「私の子供たちなのに」ってのとある気がします。お母さんをとらないでよ。子供をとらないでよ。って。

私は子供に対して、やっと手に入れた私を私として見てくれる存在として、母に対しての思いをぶつけているんですね。子供を親にしている状態ですよね、これって。

なんとかしたいなあ。

んーーー。なんかまとまりませんけど、とりあえずこんなところで。
posted by 蝉ころん at 19:29| Comment(4) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

同感と共感

私は、わかり合える人を探していたつもりだった。

それで、考え方の同じような、夫を選んだ。微妙にズレている部分はあるけれど、そのうちきっと同じようになっていく、と思って。

そうじゃなかった。

考え方なんて違っていてもわかりあえることを、私は知らなかった。

問題は意見が合うことじゃなくて、お互いの違う意見を受け入れ合うことができるかどうかだった。

私は受け入れられる経験が少なかったから、話が合ったことを受け入れられたことだと勘違いしてしまった。

何かが違う気はしていたけれど、何が違うのかわからなかった。



ここでコメントをもらったり、カウンセリングに行ったりして、共感と言うことを考えるようになって、わかってきた。

私が欲しかったのは、共感という名前のもの。私が掴んでしまったのは、ただの同感。

同じ経験をしたことがある、それだけの人だった。

確かに、同じ経験をした人にはわかり合える人が多いけど、同じ経験を持っていて、同じような考え方を身に付けている分、考え方が違う面を理解しようとする気持ちがあるかないか、そんなところがわかりにくいのかもしれない。

夫は私を分析しているのも確か。でもそれは、私を理解して受け入れるためでなく、間違った部分を更生するため。もっというなら、支配するのに利用できる部分を探るため。

夫は常に同感が欲しいのだ。私が、夫と全く同じ考え方になって、全く同じ心の働きをして、夫が思ったように行動する人間になって欲しいのだ。

それは間違っても共感ではない。

私が欲しいのは共感だった。

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今回、思っているままを書き出したので文調が「ですます」になっていません。書いちゃってから気付きました。まあいっか。(^^;
posted by 蝉ころん at 10:56| Comment(2) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月17日

喧嘩の仲裁

子供同士で喧嘩をしていると、仲裁に入ることがあります。

普段は、なるべく子供たちが自分から私に要求してこないうちは介入しないようにしていて、求めに応じて話を聞き、どうしたらいいかを一緒に考える、と言う形を目標にしています。(なかなかうまくは行きませんが(^^;;)

たいがい下の子が先に離脱してくるんですけど、話を聞くと、上の子が悪そうに聞こえます。それで、上の子に話を聞くと、下の子が悪いように言います。どっちも本当なんですよね。ただ、自分に都合の悪い事実は隠していたりしますけど。

心掛けたいなあ、と思っているのは、解釈・解決策を押し付けないこと。難しいですけど・・・。こちらからは提案のつもりでも、言い方によっては押し付けになってしまいます。特に、言うことを聞かせる形で子育てをした上の子は、こういう押し付けに敏感に反応してきます。そうなると、頑になってしまって話がこじれるんです。

下の子は、自分のどうしたいか、という気持ちを素直に出せるので、受け入れられない提案にはきっぱりとNOが言えるので、少しくらい言い方が悪くても大丈夫なんですが・・・。

なるべく、喧嘩の元になった感情を引き出して、2人ともそれぞれにその気持ちを認めてあげたいなあと思います。中立でなくて、どっちともの味方。同時にって本当に難しいですが。行動はどっちも悪かった、でも、選んだ行動が間違っていただけで、その動機の感情は間違ってない、って、認めてあげるのが目標です。



ここまでは、私が1人で子供といる時の話。

夫が家にいて、関わっている状態で喧嘩が始まると、私も巻き込まれてしまいます。

喧嘩が始まってというか、喧嘩になりそうな時点で介入してしまうんです。たいがい、下の子が先に機嫌を悪くするので、ひどくならないうちに・・・と先走って上の子の行動を規制しようとしてしまいます。上の子の気持ちも汲まずに。「もう嫌みたいだからやめときな」って。それで上の子が機嫌を損ねて、ふてくされちゃう。

これって、下の子のご機嫌取りになってますね。その場の雰囲気を悪くしないために、下の子を優先させて、上の子を犠牲にしている、そんな図式になっていると思いました。さらに言うと、雰囲気を保とうとするのは、夫がややこしくなられたら私が嫌だから。子供に楽しませてやりたいから、といいつつ、夫の機嫌を損ねないために子供の気持ちを無視しているわけです。考えたら、下の子の気持ちもちゃんと確かめてませんし・・・。

たしかに夫が機嫌悪くなったら子供も楽しくなくなるんですけどね。まだそこまでいってないうちに勝手に止めちゃうのもよくないなあって思いました。信号が赤になりそうだからって急ブレーキかけて玉付き事故、みたいな感じかも。

焦らない、急がない。いつまでたってもこのキーワードが必要な私ですね。(^^;
posted by 蝉ころん at 15:09| Comment(2) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月16日

4/16の肯定

今日は本当は買い物に出る予定だった。昨日までは、出かけよう、出かけたい、と思っていたから。

でも、今朝になってみると、あまり出かけたい気分ではなく、なにか、表現したい気分が強かったので、出かけるのをやめにした。

こういうとき、「行こうと思っていたのに行かなかった」と、マイナス面ばかり気になっていたけど、今日は、自分の気分に柔軟に対応できたと思えた。ちょっと開放感があった。嬉しい。

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予定って、その時の状況を考えずに立てるものですね。状況が変われば、反古にしてもいいものですね。私は、過去の自分が作った予定に自分から縛られてしまう面があったようです。これも自分像、かな?予定に自分を合わせるのでなく、自分に合わせた予定を組み直していく。そんな感じでいいのかと。

もちろん、誰か別の人と関わるものとか、学校関連などのあらかじめ決まっている予定は、こちらの気分で反古にするわけにはいきませんけど。(^^
posted by 蝉ころん at 13:50| Comment(0) | 本日の肯定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モラルハラスメント被害者同盟さんよりお知らせ

モラハラ報道関連のお知らせを頂きました。

注目度が上がってますね。私は被害者側の方にも、加害者側の方にも、気付きへの糸口となる報道を期待しています。

被害者が加害者に気付かせることはなかなか難しく、最終的に離れる選択肢しか残されない場合が多いと思いますが、第三者からの、加害者の思考を理解し、受け入れてくれる情報なら、加害者側も受け入れる可能性が高くなると思うんです。

加害者側が気付き、自分を変えたいと思わない限り、加害行為は治まりませんよね。加害者がいる限り、被害者は減りません。

加害者を追いつめる結果にならないよう、加害者の気付きを促すような報道を望んでいます。


以下モラルハラスメント被害者同盟さんより
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みなさまへ

昨年10月、「週刊ポスト」に短期連載された「離婚までの昨日今日明日」が大好評
につき、
小学館より4月12日、「男と女の離婚格差」というタイトルで出版されました。

http://skygarden.shogakukan.co.jp/skygarden/owa/solrenew_detail?isbn=9784093797498


これに伴い、4月16日(月)発売の「週刊ポスト」にモラハラ特集記事が掲載され
ます。今回は被害者3名が取材に応じて下さり、「我が家のモラハラ」について語っています。

ライターは本と同じ石坂晴海さん。前回の記事ではモラハラ以外の夫婦問題にもふれていましたが、今回はモラハラ一本!気合いを入れてご購読下さい。

ひとりでも多くの方にモラハラを知らせるため、コピペは大歓迎です。

よろしくご協力をお願いいたします。
posted by 蝉ころん at 13:43| Comment(0) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

気分の変化と同居の秘訣

この週末は、夫が子供を連れて出かけたこともあって割と平穏に過ぎました。

それでも、余計に感じたこと。

なつ草さんのブログでも話題にされているんですが、ずっと気分が曇り空、というお話、すごく共感しました。

夫がいないときの心の中は、ピーカンに晴れている時もあれば、過去の怒りで雷ゴロゴロの大嵐、悲しみでしとしと暗い雨・・・と、いろいろの空模様です。

それが、夫の気配がしたとたん、薄曇りになり、雲の厚みが増したり、雨が降ったりすることはあっても、日が射すことはない、という状態に変わってしまいます。雨が降ることがあっても、ぽつぽつ降るところまで。大雨にはなりません。「大気の状態が不安定」状態にまではなるものの、雷が鳴るところまではいきません。

天候変化の気配を残したまま週末が終わり、夫の気配が周囲から消えると、たちまち本来の週末の天気が顔を出してきます。

影響が軽くすんだ時は晴れ間が出るし、悲しいことがあったら雨が降り、腹の立つことがあったら雷も鳴ります。通り過ぎてからでないと、自分が受けた影響がわからないんです。



それでも、わかるようになっただけマシだとも思えます。

以前は、違う意味で私の感情は表に出ませんでした。夫が楽しそうにしていれば、雰囲気を壊さないように楽しそうに振る舞い、自己暗示で楽しいんだと思い込んでいました。夫が不機嫌なら、気に障らないよう、楽しそう過ぎず、不機嫌にも見えないよう、「意に介していないよ」という自分をキープして態度を崩しませんでした。そのうち夫の気分が変わって楽しみだした時、また楽しく過ごせるように。私の感情は私のものでなく、夫の気分を映し出す鏡でしかありませんでした。

一緒にいる人間が気分の上下の激しい人な時、そうするものだと思っていました。父がそういう人間で、このように対応すれば一番波風が立たない、ということを学習してしまったようです。



今、私がずっと曇天続きで、夫から見た私はずっとどんよりした人間のはずです。夫も嫌でしょうね。夫もなんだか曇天のようです。それでも、それに引きずられまいと、部屋を掃除したり、子供と外に出かけたりして、爆発もせずに「元気な自分」をキープしているようです。

これも、私に似ている・・・と思いました。夫にも、被害者的な心理側面もあるわけです。夫も、私の機嫌に左右されているんですよね。

こちらが元気を取り戻そうとしたとたんに爆発が起こる、って、よくありましたけど、こういう心理が作用してのことだと思います。相手が元気になると、緊張が解けて本心が出てくるんですね。体調が落ち込んでいる時には「俺も病気」なわりに、気分が落ち込んでいる時には案外なにもしてこないのは、相手の気分が不安定な方が自分にぶつけられる不安が大きいからだと思います。夫も姑による洗脳を受けています。

だからといってこちらが大雨や雷になって夫に影響が出ると、すかさず反撃してきます。影響に耐えられないから、より大きい気象変動で飲み込んでしまって、うやむやにしてしまうわけです。



となると、こちらはますますはっきりした天気にはなれません。ずっと曇天のまま。それが同居の秘訣なのかもと思ったり。

でも考えれば考えるほど、こんな同居はいやです・・・。
posted by 蝉ころん at 11:50| Comment(2) | 夫との日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月14日

新たな形で

昨日の記事でも書きましたが、「褒める」ではなく、「肯定」と言う形で再開してみたいとおもいます。「一日一褒」改め、「本日の肯定」です。



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4/13日分の肯定。

・洗濯を3回した。気持ちよかった。なんと言っても、これだけしておいたら明日は洗濯しなくても大丈夫!というのが嬉しい。

・子供がなかなか片付けようともせずに遊びたおしているので、実力行使で取り上げて片付けた。これは衝動的な行動だったけど、それまではかなり粘り強く諭していたと思う。

子供の気持ちは、「まだ遊びたい」「無理矢理片付けさせられたくない」だったし、私の気持ちは、「とにかく早く片付けて欲しい」だった。私の動機は、夫が帰ってくる前に寝室に入ってしまいたいから、夫と時間を過ごしたくないから。そのために子供に言うことを聞かせたかったのが大きい。子供を早く寝かせてやりたいから、というのはかなり小さかった。私の問題を無意識に上乗せした分、衝動的に出てしまった。

夫と同居していることのマイナス面が出た場面だったと思う。私はそれだけ夫といるのが嫌なんだね。

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こんなふうに、プラス的な思考は増幅できるよう、マイナス的な思考も受け止める・・・というかたちで、行動そのものよりも気持ちにスポットを当ててみたいと思います。よくない行動も、行動自体は改善していきたいけど、その裏にある動機、気持ちは、問題ないはずなので、そこを隠さず押し込めず、肯定していきたいです。

とりあえずこんな形で再開してみます。
posted by 蝉ころん at 11:34| Comment(0) | 本日の肯定 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月13日

褒めるって?

一日一褒をはじめてすぐに、ぶつかった違和感がありました。

家事が出来た時に褒める。じゃあ出来なかった時は?できないのは褒められることではない?出来たことだけ褒める?全く出来なかったら?

褒められるようなことが一つもないとき、そのままの自分でいられたことを褒める?

・・・なんだか変。



そんなふうに思ったんです。

褒めるって、目指している理想像があって、そこに近づいている行為に対してすることのような気がしています。

ありのままの自分を認めたい。それなのに、ありのままの自分を認める努力をしている自分を褒める?頑張っているのはありのままの自分なのか?

なんだか、パラドックスみたいでこだわり過ぎにも感じますけど、なんだか、気持ちを認める方向とは違う気がするんです。

これを続けたら、一日一褒に書くためになにかをしなければ、って自分を追いつめてしまう気がしました。

それで中断しています。



ありのままの自然な私を書きたいです。

家事をするなら、家事をしたいと思って、した結果に喜びがあったら、その喜びを書きたいです。辛かったら、頑張ったよね、って書きたいです。辛くても頑張ったけど結果に満足がいかなかったら、残念だったよね、でもいいし。褒めるんでなくて、共感したいです。自分の心の動きを認めることがしたいです。

子供の気持ちに寄り添うように、理想像を押し付けないで、気持ちの向く方へ、自分を感じて伸ばしていけるように。

「今日の共感」とかどうでしょうね?
posted by 蝉ころん at 13:43| Comment(2) | 一日一褒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月12日

怒鳴られた時には

昨日怒ることについて書いてから、なんとなく線引きが出来たので、夫が怒鳴りだしたら・・・というシミュレーションをしてみました。



・夫が怒りを向けてきて、怒鳴る、威圧するなど、冷静な話し合いが出来なくなったら。

とりあえず話の内容はもうどうでもいい。夫を軽視する態度をとってもいいんだけど、それでは子供がいる状況では子供に変な理解をさせてしまうかもしれない。だから、子供に規範を示すつもりで毅然としていよう。
「落ち着いて、普通の声で話してくれる?充分聞こえるから」
と言おう。

・それでも怒鳴るなら。

「そんなふうに大声を出されたら、話し合えないから、気持ちが落ち着いてからまた話そう」
と言おう。

・それでも怒鳴るなら。

「大声を出されたら恐いよ。いくらあなたにその気がなくても、私や子供はとってとても恐怖を感じるんだよ。あなたは私たちを怖がらせたいんじゃないでしょう?落ち着くまで待てるから、まず気持ちを鎮めてちょうだい」
と言おう。

・それでも怒鳴るなら。

子供を連れて、違う部屋に行く。

・それでも怒鳴るなら。

お金、通帳、着替えの入ったカバンを持って出て行けばいい。そのための用意を、しておこう。



対処方法として具体的に思いついたので書いてみたけど、これだけ書いただけで、恐怖で体が震えます。夫がブチ切れる様子が目に浮かびます。

まだ脱しきれてはいないんだなあ。

だいぶ、感情を置いてけぼりにして分析ばかりが先行してしまったかもしれません。それとも、震えるほどの恐怖を感じるのが正常なことなのかな?
posted by 蝉ころん at 16:30| Comment(2) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月11日

怒ることって?

上の子が担任の先生のことを「悪いことをすると怖いくらい怒る先生らしい」と聞いてきた。

夫がそれを聞いて、怒ってくれる人は、○○のことを考えてくれている人だよ、悪いことをする人になって欲しくないから怒るんだよ、怒ってくれない人よりずっと○○のことを考えてくれているんだよ、と言っていました。

夫は、先生のことを言っている形で、自分が子供に理不尽に怒ることを正当化しています。お前のことを思ってのことなんだから、受け入れて怒られろ、ということです。私も以前はこんな正当化をしていました。そしてこのことに対して疑問も持たず、怒ることで行動を変えさせて子供を育てていました。

最近いろいろ子供との接し方、自分のチャイルドのことについて学んできて、実際に子供たちと接している上で、少しずつ考え方が変わってきました。今は私は、怒るのは、「今、すぐ、直ちに」相手の言動を変えさせたい時にとる強硬手段だと思っています。

これは、怒っている方に余裕がない状態なんだと思います。相手のことより、自分が、今相手を変化させられないことに焦っての行動です。

相手の将来のことを考えるから怒ることがある、ということですが、確かによくあることだと思います。

でも、本当に子供の将来のためにそこで怒る必要があるか?というと、そうでもないことも多いようなんです。子供の安全が脅かされているときなど(道を飛び出したら車にひかれるとか)では、確かに怒ってでも行動を変えさせなければいけない状況です。でも、他の多くの場面では、今、すぐ、直ちに、行動が変えられないからといって、将来までその行動を引きずるわけじゃありません。きちんと話をして情報を伝え続けたり、諦めずに粘り強く促していれば、そのうちだんだんと身に付くことが多いようです。しかも、強迫観念なしに自分で選び取った結果として身に付きますから、とても自然です。

なるべく怒らないで子育てをするほうが、よさそうに思うんです。親だって、別に怒りたくて怒っているわけじゃないので、「怒らせないで」なんて発想になってしまいます。でも怒っているのは、やっぱり大人の側の都合だと思います。



じゃあなぜ、「今、すぐ、直ちに」行動を変えさせたいのかというと、いくつか理由があると思います。

まず、大人自身が同じように行動を変えさせられて育った場合、それでなければならないと信じ込んでいる場合があると思います。他のやり方で身に付くことを経験で知らないから、失敗することを怖れて出来ないんです。しかも、「今、すぐ、直ちに」子供をしつけられなければならないという強迫観念もあるでしょう。

この場合には、子供のことを想う気持ちが確かに原動力となっています。でも、怒ってしまうのは、やっぱり大人自身が子供の成長する力に自信を持てていないからということになる気がします。放っておいては身に付かないから、強制的に身についたことにさせるというやり方の気がしています。

それから、親が行動を変えて欲しいから、というのがあると思います。子供はやめたくないことでも、親が迷惑だからやめてほしいとき。あとで面倒が降り掛かるからとか、体調が悪いからとか、とにかく、自分に取って不都合だから、行動を変えてもらいたいときです。

これは、相手が子供だと言っても、相手には相手の都合があるし、意図もあるし、説得してお願いして、行動を変えてもらう、というスタンスであたった方がいいことのようです。無理に行動を変えさせられないことで、自分の行動にしがみつかず、相手のことを考える余裕ができるようなのです。

それに、ただ言ったことを聞いて欲しいから、というときもあります。言っただけで聞いて欲しいから。わかって欲しいから。受け入れてもらえなかったことに大人自身が堪えられないから、怒ってでも言うことを聞かせようとする場面です。

これでは、大人の言うことを聞かないから怒る、という、理不尽な怒り方になってしまいます。これは明らかに親の感情の押しつけだと思います。大人の言うことにだって間違いはあるんだから、自分で判断して言うことを聞かない選択が出来るのは立派なことだとも思えます。



夫のしていることは、こんないろんなパターンがある、「大人が子供を怒ること」について、全て子供のためを思ってのことだから受け入れとけばいいんだ、として子供に背負わせることです。これでは、怒る人は全ていい人になってしまいます。そんなことはないですよね。先生だって間違えることはあるし、子供に悪い影響を与える人もいますし。人によって、全く正反対の行動で怒ることもあり得ます。



実は夫のこの言葉には裏があって、ここ最近、私があまり子供たちを怒らず、大声を出さず、気持ちを聞いて諭すように接していることをかなり意識しています。暗に、お母さんはお前のことを考えていないんだぞ、と含ませているのです。ここでなければ誰も信じてくれませんが。こんなこと。(この、「私にしかわからない」ところをうまくつくのがモラハラのやり口ですね。裏の意図通りの効果を上げつつ、表面上は子供のことを考えているいいお父さんにしか見えない、指摘されてもそう言い逃れ出来る・・・。こちらは動きがとれない、と)

夫自身は、上の子が自分の主張を引かないことが増えてきて、手を焼いているので、怒ることが増えてきています。自分が怒ることを正当化した上で、私が怒らないことの評価を下げる・・・。実にうまいじゃないですか。

夫は言うことを聞かせたいようで、以前、夫がヒートアップしだした時に私が子供を庇ったら、「こいつは親の言うことを聞かなかったんだぞ!」と口にしました。「親の言うこと」、と隠れ蓑を着せて、その実は「俺の言うこと」です。これが本音です。夫にとって、子供というのは親の言うことをなんでも従順に聞くものなんでしょう。夫はそのように育ってますから。

私自身は怒ることが、自分の余裕のなさの現れ、押しつけだと自覚できるようになってから、少し気持ち変わりました。怒ることはまだブレーキが利きませんが、余裕のない状態にならない工夫に気持ちが向くようになってきたんです。子供の問題だとして子供に押し付けていたころは、私はあまり努力をしていなかったけど、私の問題と自覚したら、工夫に意識が向けられるようになったんです。

それに最近は、夫が怒っているのを見ると、前と違った感覚が出てきました。やだなあ、一緒にいたくないなあ。というのは前と同じですが、もっと気持ちが離れていると言うか。巻き込まれたくない、と思うようになりました。ああ、またいっぱいいっぱいになってる、放っとこう。って感じです。夫も、怒ることで問題を相手に押し付けてますから、自分では努力はしません。怒らせないようにしろ、です。

子供が巻き込まれている場合にはそういうわけにもいきませんが、一緒に巻き込まれて戦ってしまうより、子供が逃げ込める場所として、巻き込まれていない自分を確保するのが大切かもしれないと思うようになってます。

ときどき、横から夫が怒っている内容を奪い取って、夫を差し置いて子供の話しを聞いたりすることもあります。それで、私と子供だけで話を収めてしまったりすると、夫はそれ以上怒るわけにもいかず、怒りの矛先が私に向くんですよね。現実には、夫が必要以上に子供を傷つけてしまうことを避けられたわけですけど、夫にとったら面目を潰された形です。こういうのが冒頭の発言の要因なわけです。

でも直接言っても夫にはわかってもらえませんしね。一緒に暮らしているうちはこのくらいは仕方ないです。
posted by 蝉ころん at 12:35| Comment(8) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年04月06日

夫の役割・子供の役割

前回、私は子供と支配被支配の関係にしてしまっている、と書きました。

私が加害者側に立つ時、その衝動は子供のころの恨みが原動力になっている実感があります。子供に対する時、「私だってこうだったんだから子供だってこれでいいんだ」のような考えが浮かびます。「なんで子供だけこんなことが許されるんだ、私はダメだったのに!」という怒り、恨み。

私が子供に向けている恨みの対象は、親や、私が育った社会だと思います。私は、自分がされて嫌だったこと、辛かったことを、それで当然と思い込むことで何事もなく過ごしてきたので、それを当然のこととして子供に連鎖させてしまう思考パターンを持っているようです。

親への怒りは、子供に向けずに、親に向けるべきものです。でも私はまだできません。私はずっと、親の親代わりになっていたから、親を傷つけたくないんです。それで、今度は子供に私の親代わりをさせようとしてしまっています。

やはり、この恨みは、親に返すなり、消化させるなりして、チャイルドを癒していきたいです。



そしてもう一つ、私は、親以上に、学校でのいじめ問題に深いしこりを持っています。

このことについての恨みを一手にぶつけているのが、夫だと思うのです。

対等であるはずのクラスメイトから支配された。対等であるはずの夫から支配された。

仲間であるはずのクラスメイトから裏切られた。仲間であるはずの夫に裏切られた。

平等に回ってくるはずの権利をクラスメイトに、夫に奪われた。

仲良しだと思っていたクラスメイトから、夫から、無視された。

私は、夫から逃げてしまえばいいはずでした。こんなことするやつ嫌い。それでいいはずでした。

私は、夫に、昔受けたいじめ行為をされ、その夫と仲良くなることで、失った学校生活を取り戻そうとしたし、それがかなわないとなると、今度は、過去のいじめの分まで夫を恨んでいる気がするのです。



私の中に、自分がされたことを相手にもやり返してやりたいという復讐心が存在しています。私をいじめたあのクラスメイトたちを、今でもまだ、許せていません。今でも、いじめ返してやりたいという思いがくすぶっています。

当時、私と一緒にいじめられていた子がある日突然いじめる側に回ったとき、なんて情けない行動だ、私は絶対にいじめる側には回るまい、と思いました。あの時から、私は、自分の復讐心を見てはいけない汚いものとして封印したのかもしれません。でもその気持ちは確かに存在していて、報復する対象を探しているのです。

私はあの子たちを無理矢理許したことにしてきたけれど、そのことがかえって関係のない人を対象にして恨みを晴らそうという衝動になってしまっています。

私は、私をいじめた子たちをいじめ返したいという欲求を持っています。そのいじめの背景に何があろうと、私がいじめられて苦しんだ事実は変わらないし、同じ思いを味わわせたい、そしてその罪を償わせたい。そんな気持ちを認めようと思います。恨んでいいし、許さなくていい。償ってもらっていないものを許さなくていい。受けた痛みは、ちゃんとその相手に向けたままで、持っていようと思います。



私が受け入れた親からの行為は、子供に受け入れさせようと連鎖させています。連鎖させてくれない夫への恨みも生まれてきました。

私が受けたいじめ行為は、いじめられない、いじめない子になって欲しいという、子供への縛りになっています。夫へは、実際に夫がした行為以上の罪をかぶせて恨みを晴らそうとしています。

私にとっては、夫が私を癒せる人物でないならば、いっそ悪い人間でいてもらう必要があったんです。外に向けて発散できない恨みをぶつける相手として。私には、恨む対象が必要なんです。そのためには、夫に私が恨めるようなことをしてもらう必要があったんです。

そして夫が私にしているモラ行為も、同じようなことです。自分の中の抱えきれない負の感情をぶつける相手として私が選択されたんです。

一度ターゲットになったら、えくぼもあばたにしか見えません。どんな行為でも、屁理屈をこねれば不当なものとして断罪できるんです。不当なものを断罪することは、当然のこととして正当化できます。相手のためとして自分をごまかしてしまえば、どこまででもエスカレートできます。

そういう心の中の動きが私にあることを、意識してみています。私が逃げ回っていた自分自身の心です。
posted by 蝉ころん at 11:03| Comment(11) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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