2007年03月29日

鏡としての夫

お久しぶりです。

3月に入ってからの寒気で、子供たちが調子を崩したのからはじまって、私にも移ったり子供が別の病気をもらってきたり・・・で、2週間ほど看病ウィークになってしまいました。

今は、子供たちの体調もだいぶ戻って、やっと通常生活が復活したかんじです。

おつかれさま、私。頑張った、子供たち。そして変に自己主張せず、かき回さないでいてくれた夫、それだけでかなり助かった。一触即発ぎみな場面はあったけれどもお互いよく堪えた。

では今日の記事を。


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以前にも書きましたが、私と夫はよく似ています。

趣味から、ものの考え方にも、かなり似た点があります。生育環境から来るものだろうと今では思っています。

これだけ似ていると、夫の目につく悪い面も、やっぱり私も持っている、ということが多々あります。ここで夫のことを分析しながら、いつも平行して考えているのは私のことです。

夫婦間の間のことに限って言えば、私が夫にされて嫌なことを私が夫にしている場合、私がしている行動と、夫の行為とは別のものだと思っています。

私からの行為には、夫がこうするなら、私もそうしていいんだろう、という、「郷に入りては豪に従え」的な、悪気なくするパターンもあれば、報復や見せしめ、という形で、夫に自分の行為を理解してもらいたいという気持ちが入っている、良くないことと知りながらの時があります。どちらにしても、私は「意識して」やっているということです。

これに対して、夫は「無意識に」こうした行動をとっています。ここが決定的に違うところです。

だから、この点に関して、似ているけれどもやっぱり違う、と思うようになっていました。

でも最近、夫の行為を、この辺りから夫の問題を押し付けられているな・・・とか、あ、またなにか自分で解決できないものが溜まってきているな・・・そろそろぶつけられるな・・・とか、分析できるようになってきて、私の問題とかぶっている、ということに気付いてきました。

いや、本当はとっくに気付いていたのかもしれません。自分で認めたくなかっただけで。

私は、子供たちに夫と同じようなことをしているのです。

つまり、夫と私が支配被支配の関係で、私も、私と子供を支配被支配の関係にしている、ということです。

夫婦関係だけを見ていたら見えなかった私と夫の類似点は、子供まで含めたところでやっと見えてきました。

私は、子供との関係でうまくいかないとき、私自身の問題を子供にぶつけてしまっているんだと思います。でも、自分のことだと、渦中に入ってしまっている時はなかなか見えてこないし、切り抜けたあとに振り返る、ということもあまりできません。

それが、夫の問題を分析するようになって、自分の問題も同じように分析することができるようになってきたんです。これは予想していなかった効果でした。



夫の問題を突き詰めていくと、私自身の問題に突き当たります。夫は、私の鏡なのです。

もう少し、夫を手放さないでいるのも私のためになる面もありそうだ・・・なんて考えたりもするこのごろです。

また傷つけられることが増えればそう悠長なことも言ってられなくなるでしょうけど。
posted by 蝉ころん at 14:18| Comment(4) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月24日

携帯から3/24の一褒

子供の喧嘩の仲裁がうまくできた。二人とも納得いく形で収まった。よかった。

その前にも喧嘩してて、その時はうまく収められずにイライラしちゃったんだけど、それを引きずらずに対応できたのが、特にうれしい。よく出来ました!
posted by 蝉ころん at 20:01| Comment(0) | 一日一褒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月22日

3月22日の褒め

今日は、車での外出で、細い道を通ったけど、後続車を気にしすぎずに、自分のペースで悠々と進むことができた。交通違反してるわけじゃなし、マイペースでOK!

(考えてみたら、私が後続車や周りの車の目を気にしながら運転するのは、免許を取る前から。夫と以外ほとんど車に乗ったことのない私がそういう視点を手に入れたのは、やはり夫の影響が大。なんせ夫はいつでも周りの車の至らぬところ(ただの夫の気に入らないところ)をあげつらっては、辛らつな言葉ばかり吐いていたから。周りの車がみんな夫のような人格に見えていたのかもしれません。(^^; 本来の一褒カテゴリから逸脱している文章なのでカッコ内で。)

上の子、お菓子をつくるのに、できるところは全部1人でできた。飽きずにできるようになったね。すごい!しかも出来も良かった。おいしかったね〜!

下の子、眠くて眠くて仕方なかったのに、おふとんしいても寝ないで、晩ご飯食べきるまで起きてたね。よく頑張ったね。えらい!
posted by 蝉ころん at 21:59| Comment(2) | 一日一褒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

携帯から3/21の一褒

夫がいるとあまり褒めることを見つける気にもなれないことを発見。完全にスイッチがOFFになっているみたいです。

無理に褒めることを探そうとしないでそのままの自分を認められたのが、褒められる点かも、と思いました。
posted by 蝉ころん at 08:32| Comment(2) | 一日一褒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月20日

3月20日の褒め

出かける前に洗濯物を干した。私えらい!

下の子が、おしっこを2回、自己申告した。下の子えらい!

上の子が、おともだちと遊ぶ約束をして、時間を決めてきた。上の子えらい!

子供のころの私、近所にお友達もいなくて、家にも誰もいなかったけど、文句も言わずよく1人で遊んでたなあ。えらい!
posted by 蝉ころん at 17:15| Comment(0) | 一日一褒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月19日

携帯一褒テスト

携帯からの投稿テストをした。できた!
posted by 蝉ころん at 13:32| Comment(0) | 一日一褒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

3月19日の褒め

今日から、一日一褒めを目標に、自分を褒めていきたいと思います。
出来たら、でいいから、気負わずに。
子供のころのことでもOK。

そんな程度で褒める??というツッコミはご遠慮くださいますよう。(^^;

では開始。
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洗濯機3回まわした。えらい!

ブログ記事一本書いた。やった!

一日一褒を始めた。続かなくてもOK!やってみようと思ったのが大事!
posted by 蝉ころん at 12:40| Comment(4) | 一日一褒 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

褒めることは共感すること

すっかり間があいてしまいました。新しいカテゴリです。

このところ、夫との間で深刻な問題が起きていない分、子供との関係でうまくいかないことや、私が心残りのまま成長してしまった問題が出てくるようになりました。それで、わだかまっているものを出しつつ子供との関わり方を考えてみたいと思っています。



どうも子供を褒めるのが下手です。

あるとき、「せっかく人が褒めてるのに、この子は素直じゃないな」なんて思って、ハッとしました。

私もそういう子供だったんです。今もそういうところあります。自分ではすごいことができたと思ってないから、そこを褒められても嬉しくないんです。逆に、なんだこんな程度でいいのか、そんなら本気でやることないや、なんて、やる気をなくしたりしてしまいます。

なんでこうなっちゃうんでしょう。私の子供のころだって、褒められたい気持ちがなかったわけじゃなくて、むしろ、うまく出来た、いいことをした、なんて時には、きっと褒めてもらえると内心ドキドキしていたものです。でも、そういう時は、褒めてもらえるどころか軽くあしらわれるか、逆にアラを探されて気まずい思いをすることの方が多かった気がします。

かみ合っていないというか、私が納得してないところ、ただ大人が認めたい褒めたいから褒められてる。私が褒めて欲しかったことは全く認めてもらえなかった。

私自身がそうして育ったためか、子供に対してもそういうことをしてしまっています。

満足してない時に褒められると、「本当は満足していない」という気持ちを否定されているように感じるのかもしれません。「これだけ出来たんだから満足しとけ」みたいな。

子供を見ていないで褒めようとするから、こちらの気持ちの押し付けになってしまうんでしょうか。子供を見ていれば、感じていれば、どれだけ喜んでいるかは伝わってきます。そういう時こそ一緒になって喜んで、褒めてあげればいい、それだけでいいのかもしれません。

子供のウキウキに乗ってあげること、共感することが、褒めることへの道なのかなと、そう思いました。

考えてみれば、赤ちゃんのころは積み木が積めただけでお祭りのように喜んでもらえるのに、大きくなるに従って、大人の都合のいいことでしか褒めてもらえなくなっていきますね。遊んでいて褒められることなんてほとんどなくて、褒められるとすれば他の子供よりすごいことが出来たときくらい・・・。これじゃあ、自分なりに頑張っただけのことで満足してはいけないって教えているようなものですね。

子供の「やったあ」という気持ちを感じてあげられるようにしたいです。



それから、あまり褒められることのなかった子供の私、最近、子供たちに嫉妬メラメラのようで、子供たちに八つ当たりしちゃうので、子供たちを褒める以上に子供の自分も褒めてあげようと思いました。

私にもいっぱい「やったあ」があったはず。今の私なら、あのころの「やったあ」のすごさがわかるんだから、いっぱい褒めてあげたいです。
posted by 蝉ころん at 12:31| Comment(4) | 子育て関連 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2007年03月02日

議論好きは私

虫食い枯葉さんのブログで、旦那さんに惹かれている部分がある、満たされている面もある、という話(ずれて捉えていたらすみません)があったので、私にも似たような面があると思い、考えました。



以前にも、夫といると子供にかえって本気で遊べるから、ということを書いたことがあります。

今回考えていて、もう一つ、私が夫といて楽しかったことに、議論があるということに気付きました。

私の実家では、日常的に家業のことについて議論をしていて、私はそれに入ることができなかったので、議論に加わること=構成員として認められること、のような認識があったかもしれません。

でも、実家での議論はと言えば、話し合いと言えるようなものではなく、ただ各々が自分の考えを声高に主張するだけの、意見の押し付け合いでしかありませんでした。母はできるだけ穏便にまとめようとはしていましたが、それでもやはり、父の偏った考えは受け入れるわけにいかず、どうしても議論になってしまうのでした。

自然、私がしたかった議論はそういうものでした。

社会に出てみると、話し合いにも会話にも、こういった議論は出てきません。それが当たり前です。私はその会話の在り方に合わせつつも、本当の会話をしていないような物足りなさを感じてもいました。自分の考えを目一杯主張してみたい、言いたいことを言いたいだけ言ってみたい。そんな感情があったのだと思います。

それが出来たのが、夫でした。

モラハラ加害者の特徴として、議論好き、があるといいます。相手との意見の擦り合わせをしたいわけでなく、子供の屁理屈の延長のようなもので自分の考えが正しいことを相手に納得させるため、という議論だろうと思います。

私は、ときどき夫との間で発生する、この実家での議論と同じような性格の議論が大好きでした。夫が自分の考えを言う、私はそれを聞き、それなりに考えを受け止めた上で、また私からも考えを言う。私は結論なんて出なくてよかった。ただ意見をぶつけ合うのが楽しかったんです。本音と本音で話が出来る、これができるからこそ家族なんだと思っていました。

そのときは、話し合ってそれぞれの考え方がわかれば、お互いの理解にもつながると思っていましたが、そんなことは付け足しの理由に過ぎなかったんです。私はただ議論できることが嬉しかった。それがやっとわかりました。



夫の方にもそういう面があったように思います。

夫の実家でも、ちょくちょく何か言い合い(端から見ると言い合いにしか見えないものですね)をしていましたし、以前はたいてい言いくるめられるのは夫だったようです。そして、いつか上の兄弟を言い負かしたいと思いつつ成長したようです。

夫もまた、対等に理屈を張れる私との議論に熱中していました。私は夫を納得させたいわけでなく、ただ議論が続くのが楽しかったし、言い負かしたい欲求の強い夫は、持論を変えようとしない私を屈服させようとするので、なかなか議論は終わらず、いつも時間切れで終了、といった感じでした。私は議論が出来たこと、それだけで満足できましたが、夫の方は言い負かせない不満が少しずつ溜まっていたのかもしれません。

夫は議論が好きなのではなく、言い負かして勝つために議論という手段をとっているだけ。本当の議論好きは私の方でした。

そしてこれが、私たち夫婦の唯一といっていい精神的なコミュニケーションで、パワーバランスを保つ意味でも夫婦の存続に大きな影響を与えていたものだったような気がしています。

子供が産まれて、子供の相手をしつつ論理展開をすることに無理が出てきたので、私は議論に乗ることがなくなりました。そして、議論に乗らなくなった私に「勝った」と認識した夫は私を支配しだし、私にとっては議論の出来ない状態で夫と過ごす意味がますますなくなりました。このあたりの話は以前にも書いたので余談として。



今、私は、こういう議論、相手に自分の意見を押し付けるための議論は、正当な話し合いでないことを知りました。でも、頭に染み付いているパターンがなかなか抜けないようで、無自覚に人を議論に巻き込んでしまうことがあります。

こういうときは、攻撃的です。言い負かし合い、というゲームに入り込んでいるからです。私の中では、ゲームのルールに則っての攻撃的なプレー、というようなものなんですが、ゲームの外でやってしまっては直接攻撃と受け止められるのは当たり前です。

柔道のルールは試合の上では公平ですが、普通の生活の中で人につかみかかってはいけないのです。

私はこの癖を持て余しています。なるべく表現を考えて、同じことでも柔らかく受け取られるようにしようとか、普通に意見を伝える程度に留めるように心掛けていますが、勢いのある時は攻撃性が前面に出てしまいます。

ここでこうして長々と自分の考えを書き連ねているのも、この議論好きの傾向からきているもののように思います。ただひたすら、私の考えが伝わることだけのために。しつこくしつこく書いてしまうのは、自分の気持ちを書き留めたいだけじゃない、「私の意見をわからせたい、このことについて意見を戦わせたい」という欲求から来ている気がしてなりません。

このブログではそういう面も現状の自分として出してしまえ、と思っているので、意図して書いているときもありますが、今週は、よそ様のブログのコメント欄でやってしまいました。(なつ草さん、本当しつこいですがごめんなさいm(_ _;)m)

まだまだ未熟な私を再認識しました。この未熟な私を認めつつ、少しでも前に進めるか、と思っています。議論への欲求をどう消化していったらいいのか、悩んでいます。
posted by 蝉ころん at 21:07| Comment(7) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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