2006年12月13日

1章−3 見捨てられ体験

久しぶりにワークの続きです。



本によると、子供が持って産まれてくるという権利の目録は次のようなものだそうです。

・誰かの期待通りの存在だからでなく、ありのままの自分として大切にされる
・親の喪失を埋め合わせるための存在ではなく、その子自身として慈しんで育てられる
・一貫性と、安全と、理解を与えられ、無条件に愛される。
・ひどく傷つくような状況から守られる

どうだったかな、と考えました。

<家庭で>

ありのままの自分として、大切に・・・無下に扱われた記憶はないです。でも、大切にされたというより、存在を許されていた、という感じです。ただありのままの私でそこにいることができた。

親の喪失の埋め合わせにされていた部分は、ある意味あったと思います。母が、自分ができなかった自立の道を私に歩ませたかったらしいこと、父が、幼少の頃に亡くした父の母の面影を私に見ていたことから、父も母も、私に特定の女性像を夢見ていたように思います。

一貫性はありません。父の機嫌に左右される環境でした。父が怒鳴っているだけで力をふるわれるわけでない環境が安全というなら、安全でした。でも心は安泰じゃなかった。母には、理解されていた方だと思います。ただ私と私の環境を守れるほどの力はなかっただけで。ただ私と言うだけで、の愛情は、受けていたと思います。それなりに。私は人生のレールは敷かれなかったし、家業を継ぎたいという望みとアルバイトをしたいという以外は、ほぼ私が望んだ通りに道を選ぶことができましたし。それを愛情と言っていいのか、今の私にはよくわからなくなっていますけど。

ひどく傷つくような状況からは守られませんでした。父と母が口論している、父と兄が大声で罵っている。私は渦中にこそいなかったけど、傷つきました。渦中に入れないことでもさらに傷つきました。



<学校で>(おもにいじめを受けていた小中学時代)

先生の期待通りの存在でないから、私の能力は認めてもらえませんでした。クラスメイトからも、異端児として阻害されていました。大切にされた経験はありません。

家庭でストレスを抱えた子の発散の道具としていじめられていました。いじめるための存在で、私個人の感情なんて気にされたことはありませんでした。道ばたでいじめられていても横を大人が平気で通り過ぎるので、いじめられる子は放っておかれるものなんだと体で覚えました。

一貫性はありました。私には権利がないという形で。安全はありませんでした。一人でいても、常に周囲に気を配っていました。大勢でいたら、常に心に壁を作っていました。理解は得られなかったし、無条件で迫害されていました。ただ私だからという理由でいじめられていました。

傷ついていても、いじめられる方に原因があるわけで、身を守るのは私自身がすることでした。先生はむしろ、いじめを助長して、傍観していました。



けっこう権利を踏みにじられてる、と思っていいんでしょうね。私は家庭でのことより、学校でのことに深く恨みを持っている自覚がありますけど、ただ存在することを許されていた家庭と違って、学校では存在しているだけでいじめられていたので、一つも権利を認められてなかったんですね。もちろん「教育を受ける権利」はありましたけど。

ただ、学校に強い恨みを持っているのは、それだけ執着も深いということなんだとも思います。マイナスの関わりでも、ないよりマシなんだという話もあります。家庭ではほとんど放置でしたから、いじめという形であれ私を構う存在のいる学校に、しがみついてしまっていたのかもしれません。



<身体的な見捨てられ体験>

身体的には、家庭では全く不自由なく育ちました。栄養も考えてくれた食事、暖かい部屋、暴力もない。兄弟喧嘩こそしたけど、私もやり返していたし、言いつければ母は兄を叱ったし、対等な立場でのやり取りだったと思います。

学校では暴力をともなういじめがあり、先生も根本的な介入をしようとはしてくれませんでしたから、常に安全を脅かされていました。テスト中にカンニングの冤罪を受けたり、忘れ物をして廊下に出され授業を受けられないなどは教育を受ける権利も剥奪されていたかも、と思います。

給食の時間には、食が細くて食べきれないのに大量に盛られたり、食べ終わらないとそのまま掃除が始まって、ほこりの立つ教室で砂の味のするおかずを食べたりと、衛生面での安全も守られていなかったと言えるかもしれません。



<情緒的な見捨てられ体験>

・親が子供の感情やニーズに無関心だったり情緒的に不在の状態が続く

まんまです。父はほとんど物理的にいなかったし、私に取って親といえば母。でも、私が構って欲しい時には母はおらず、母のいる時間帯は母は忙しくて、いつも兄と二人で遊んでいました。兄に泣かされたときでも、母は兄を叱るだけで、私を慰めたりと言うことはありませんでした。ただ母がめんどくさくならないように、私を泣かさないで欲しかっただけなんでしょう。

・受け入れてもらうために自分の感情を隠さなければならない

「それくらいのことで泣かないの」というのはよく言われました。しつこく泣いていると放っておかれました。年子の兄に許可されたことでも私には許可されないことがたくさんありました。私にもできると言っても受け入れてもらえませんでした。私はなにができるようになっても、「当たり前」でした。自分でも、そんなもんなんだと思ってました。

まったく愛情を示されたことがないです。親の年代では仕方ないことなのかもしれませんけど、言葉でも態度でも、とても大切にされている!と実感するような行動を示してもらったことはありません。高校の頃、家族旅行に行った時に私の寝顔を写真に撮られていて、それを見た母が「かわいいねえ」と言ったので、そこで初めてお母さんは私がかわいいんだ、とびっくりしたくらいです。もっと早く示してくれたらよかったのに・・・でも、この一言で、私はずいぶん救われたように思います。



これだけ書いて思ったのは、家庭ではやっぱりネグレクトに近かったのかなと。言葉も、スキンシップもほとんどなかった。こちらから働きかけて、ほんの少し返ってくるだけでした。よく邪魔にされていました。だんだんと親に関わろうとしなくなりました。そのうち成長すると、関わりが増えてきました。このころは、もう親に頼られていたようです。相談相手になっていました。

子供としては、見捨てられていたようです。
posted by 蝉ころん at 16:07| Comment(0) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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