2006年12月03日

私が憧れたもの

なかなかまとまった時間がとれなくて、自分育てのワークの方が進みません。
今日は、前に書いていてまとまりきらなかったものを少し書き直してみました。

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私はもともと、あまりやさしい人間ではありません。

また子供の頃の体験に戻って例を挙げてみます。

学校の帰り際、一緒に帰る友達が忘れ物をした、という状況だとします。あなたならどうしますか?

(1)「そんなの知らない」と言ってさっさと帰る
(2)「取っておいでよ」と言って待っている
(3)「一緒に取りにいこうよ」と一緒に行く
(4)「取ってきてあげる」とダッシュで取ってくる

私は、自分が忘れものをしたときはたいがい(1)の反応をされていました。友達が忘れたときは、(2)で対応していました。

(4)は・・・ときどきこういう子いますよね。でも他人の問題にそこまで手を出すのはかえって相手に悪いと思っていたし、(3)でさえ、頼まれもしないのに率先して付き添うって保護者みたい?と疑問に思っていました。少なくとも私は付き添ってもらうのは嫌でした。だからって(1)では友達としては冷たすぎる。

これは、小学生にしてはかなりいいバランス感覚だったんじゃないかと、いろいろと知識を得た今では思います。

でも、私はいつも(2)の対応をしては冷たいヤツ、という扱いを受けていたし、他の人達は、私が相手でない時には(3)や(4)のやり方をとることが多く、私はだんだん(ひょっとして私は冷たいのだろうか?)と思うようになっていきました。

それで、本心では(2)でいいと思っているのに、「いい人」になりたいがために、「いい人」と思われたいがために(3)や(4)の手段をとるようになっていきました。



私は自ら境界線を踏み越えていきました。そこに見えているにもかかわらず、それはただの名目に過ぎないんだと自分に言い聞かせて。それは、他人が信号を見ずに堂々と渡っているからと言って、赤信号を無視するようなものでした。

私は私の中に規範を持っていたのに、それが、まだ未完成の子供の狭い世界で受け入れられなかったからといって簡単に捨て去ろうとしていました。



本当にいい人なら、自然に、本当に相手のためになる行動ができていると思います。押し付けがましくもなく、ただこうしたいと思ったからしたことが相手のためにもなった、というような、無理のない行為です。感謝されなくても気にしないし、いいことをした、なんて思ってないです。

でも私みたいなのは、いい人になりたいがためにいいことをしようとしているので、やっぱり無理があるんです。自然じゃないし、相手のため、より、ここでこう手を出すといいことになる、という形にとらわれてます。しかも私は、本当は違うようにした方が相手のためになることまでわかってるのに、「いい人じゃない」と思われる怖さについ手を出してしまいます。

二重に自分を裏切っていると思います。

最近はだいぶ誘惑に乗らないようになりました。私がしたいことか?相手が本当に望んでいることか?今すべきことか?そんなふうに自問するようになったから。

自分が「いい人」の呪縛から逃れたら、なんとなく気持ちわるなと思っていた他の人の「いい人」行動の動機も見えてきました。なにもしないことに耐えられなくて手を出してしまうとか、特別な存在であることをアピールするためにしているとか。

私は、私の存在をただ受け入れてもらうために「いい人」をしていたと思います。特別じゃなくてもいい、ただ、忘れ去られるのが嫌だったんです。長い間、忘れられた存在だったからかな。




思い返してみて、私なりにバランスを持っていることもわかったし、これからは「いい人」にとらわれないでいけそうです。あんまりやさしくない私だけど、私なりのやさしさは持ってるんだし、それを大切にしていればいいんだなって、そんなふうに思いました。
posted by 蝉ころん at 14:35| Comment(6) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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