2006年12月28日

今年一年

ことしもいよいよあと3日。
子供も休みに入ってなかなか書くこともままならない状態なので、年内はこれで最後の記事としようと思います。

思えば、夫への恐怖のようなものを感じてから一年、ネット上のモラハラ情報を漁り、カウンセリングに通い、自分でもブログをつけるようになって、回復を目指す仲間とのつながりを得て・・・。

結婚生活を振り返り、自分を振り返り続けた一年でした。そして、なかなか見えてこない未来を探し続けた一年でした。

今、まだまだ回復途上ですけど、去年の自分からはかなり変わりました。



なにかスイッチが入ると涙が出て止まらなくなっていたのが、泣かなくてすむようになった。

夫の気配を感じる、帰ってくる時間が近づく、それだけで胸の辺りがキュ〜ッと締め付けられるような感じがして焦りでいっぱいになっていたのが、あ〜やだな〜くらいになった。

夫を前にすると頭が回らなくなって、夫の言っていることを理解する(したつもりになる)だけでいっぱいだったのが、一歩引いて聞けるようになり、夫のペースに巻き込まれなくなった。

子供に対しても、いっぱいいっぱいで無理矢理いいお母さんをしようとしてはしょっちゅう空回りして爆発いたのが、そこそこのお母さんでいいや、と思えるようになって、爆発が小規模になった。

主婦としても、夫の求めるものと私の限界とのギャップに振り回されていたのが、私の求めるものを優先しても罪悪感を感じずにすむようになった。



外から見たら、家族の形はなにも変わっていないし、、むしろ私は怠惰になっただけに見えるくらいかもしれません。

それに、これから年末年始、私はまだ夫実家に行くということを拒否できる自信がないので、行くことになるでしょう。あのモラ全開の夫実家で、私を保っていられるか、正念場だと思います。どこまで回復できたかがわかるかも、とも思っています。

この変な挑戦心が私を追いつめたようにも思うんですけど・・・この気持ちが出てくるほど元気になったんだ、と思うようにします。

私は回復しだしている。それを信じようと思います。

年明けにまた、報告しますね。



みなさん、今年一年読んでくださってありがとう。暖かいコメントも、本当にありがとう。

共存している人も、離れられた人も、来年は心の平穏を手に入れられますように。良いお年を。
posted by 蝉ころん at 09:06| Comment(9) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月22日

「お母さん」育て

今私は私の中にお母さんを育てています。インナーアダルトのことになるんだと思いますけど、私の中では「お母さん」が一番しっくり来たようなので、「お母さん」と呼んでいます。

今まで私の中で、私を見張り、私の行動を嘆いていた実際の母の目をしたお母さんではない、私を見守ってくれる理想の「お母さん」です。

子供と関わっていると、「お母さん」を育てるヒントが転がっています。

なかなか散らかった部屋を片付けてくれない。「うわ〜これだけ散らかってたら大変だね。どうやっていいのかわからなくなったね。一緒に片付けようか」と声をかけると、私がほとんどしなくてもどんどん片付いたりします。ひとりぼっちで取り組むのがイヤだった、お母さんに見ていて欲しかった、一緒にいて欲しかった。・・・なるほど。

私にも適用してみます。

やらなきゃいけないことを目の前にして絶望してきたら、いったん自分から抜け出して、客観的に見てみる。そして「私」に声をかけます。「うわ〜これは大変だね。やりたくないね。でもこれをしないと他のことができないんだよね。じゃあ、どうしようか?」私に戻る。「今日は、これだけにしたい」もう一度お母さん。「そう、じゃあそうしてみよう。ちゃんと見てるから、大丈夫だよ」

なんとなく、やる気が出てきて、思った以上に出来たりします。

子供が熱で食欲がない時。「今、体が一所懸命かぜの菌をやっつけてるからね。それだけで大変で、ごはんを片付けるお仕事はできないんだって。ごはんのお仕事はお休みにしてあげようね。また元気になったら食べられるからね」と説明してあげる。すると、納得して、無理に食べようとせずに落ち着いてくれます。

私にもやってあげる。

熱でふとんから出られない。子供の世話も最低限しか出来なくて、自分が不甲斐なくて、子供がかわいそうに思えてくる。そこで・・・「今は寝るのが大切。ここで無理してもっとひどくなったら、子供の横でも寝てられなくなるよ。体を治す時間を体にあげようね。子供のことは、子供ができる。ほら、ちゃんとやってるよ。お母さんが横にいてるだけで、安心しているよ。元気になったらまたいっぱい構ってあげようね。」

なんとなく、子供が誇らしく思える。

こんなことを、ときどきしてます。

「ちゃんと見てるよ。一緒にいるよ」という言葉、楽になるのにかなり有効でした。この言葉、インナーチャイルドの癒しにも何回か使っています。「お母さんは知ってる。ちゃんと見てたよ。あなたは悪くないよ」って。冤罪を着せられることが多かった私は、誰か私が悪くないことを、私がキチンとしていることを見てくれている存在を求めていたようです。

だから、そういう「お母さん」を育てています。

いつも、私を見守ってくれている。「嫌だな」と思った時、一緒に「嫌だね、でもがんばろっか。応援してるよ」と言ってくれる、嫌なことがあったとき、「嫌だったね。でも偉かったね。ちゃんと見てたよ」と言ってくれる「声」を、育てています。私が子供の頃に欲しかった声を。



誰でも、心の中に母の声があるんでしょう。やさしいお母さんならやさしい声として、厳しいお母さんなら厳しい声として、心の中にお母さんが住んでいるのは、きっとみんな同じ。その声に背中を押されて、時には励まされ、時には叱咤されて、みんな自分の行動を決めているんでしょう。意識をしている人は少ないだろうけど。中には縛る声もある、解放する声もある、いろんな声があるだろうけど、それは普通、実際の母親を離れて、独立して子供の心に宿っている。きっとそれが当たり前なんでしょう。それはマザコンみたいなものとは違う、心の礎のはず。

だから、小さい子になったつもりで、「お母さん」の声を育てていきます。ほかのどんな「声」より大きい存在になるまで。私の中に根付いて、わざわざ「お母さん」を引っ張りだしてこなくても、自然に私の背中を押してくれる「声」が響くようになるまで。

今、私自身は、子供たちの「声」になって、子供たちに根付きつつあります。子供を見ていると、以前の私の「声」に振り回されているのがわかるときがあります。私は今まで、私が子供たちに与える影響が怖くて怖くて仕方がありませんでした。取り返しのつかないことを植え付けていたらどうしようって。

でも、心の中の「お母さん」を育て始めて、少し不安が解けてきました。大丈夫。私が私の「お母さん」を求める限り、子供たちの「お母さん」にも、きっとなれる。私の心が、道案内してくれる。私の心が求めるお母さんを、子供たちにもわけてあげればいい。子供たちの求めるお母さんも、私にお裾分けしよう。私に「声」が寝付く頃、子供たちの「声」も、きっとそれなりの形になっているだろう。そんなふうに思えるようになってきました。

まだまだ他者の「声」が大きい私の頭の中、いつまでかかるかわかりませんけど、「お母さん」は負けないと信じています。だって、この「お母さん」は私。ずっと私の中にいて、いつでも私を見守っているんだから。
posted by 蝉ころん at 15:21| Comment(4) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月21日

他者との関わり

私が、私以外の人間といて不快な感情が現れる時、投影のようなことが起こっていることが多そうだ、と気付きました。

きっかけは、子供との時間。

私が焦りの感情に捕われているとき、子供に対するイライラが大きくなるんです。特に、時間がかかることが許せなくなります。

私は、自分の焦りを子供に投影してしまっています。

イライラの感覚は、私が私に対して感じていることを、外の対象に向けているサインでした。時間がかかって許せないのは私の問題。それでもともとイライラしているのが、子供がうまく動いてくれない時に子供相手に発散してしまうんです。

私は、私自身に向けてイライラしていることを感じていません。ただ焦っているだけ。でも、優等生の私、他者視点の私は、イライラしているんでしょう。できない私に対して。

これはモラハラの、モラ夫の自己紹介と呼ばれる現象と、全く同じカラクリなんじゃないでしょうか。

私は夫に対してもイライラを感じることがあります。昔からです。そして昔は、それを言葉にして、態度にして、夫に向けていました。このときたぶん私は夫にモラハラをしていたんでしょう。夫も、変に私に忠実な面がありました。夫自身もモラ環境で育っているので、条件反射で受け入れてしまった部分があるのかと思います。

私は、頭の中の声からのプレッシャーに耐えかねて、声の主の注意をそらし、問題をすげ替える対象を無意識に探していたんです。逃げるために。

ここに、私から他者への投影があります。



そして、夫とのやり取りで不快を感じる時。先日、少し夫に用事を頼んだんですが、ほとんど会話のない夫婦で、そうすんなり話が分かってもらえるはずがありません。案の定、誤解があって、もう一度やってもらうことになりました。すると夫から「あのときはコレでいいって言っただろ!お前がちゃんと言わないからだ!」と。来ました、責任回避。

確かにうまく伝えられなかった私もよくない、だからその部分は謝りました。でも全責任が私にあるわけではないです。これ、夫の中にある「ちゃんとやるべきことを確認できなかった自分」を恥じる気持ちが、私に投影されてるんですね。

昔なら、ここで全責任を負わされていることに対して不満がたまったものでした。

今回そんなことは思わなかったです。「ああ、これだこれだ。これだった」という感じで、投影された部分を受け取らずにすみました。夫は押し付けた気でいますけど、私は気にならなかった。

他にも、夫は自分が部屋を片付けられないと私が掃除してないのが気になるみたいだとか、自分が服装が変だと私の服装も気になるみたいだとか、色々、見えてきました。

今までは、投影されているその時その場では何がどうなっているのかわからなくて動転してしまっていたのが、見えるようになってきたんです。

答は私の感情にありました。イライラは投影してしまっているサイン。納得いかない感じは投影されているサイン。

あとは、インナーアダルトを出すか、境界を引くか。自分で選択できること。

しばらくこれで様子を見ます。
posted by 蝉ころん at 14:04| Comment(2) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月20日

私の焦りと心理

そろそろまた焦りが出てきました。この焦りが私の精神安定の敵なんですよね。

今回の焦りの原因は、年賀状と、大掃除。

時間制限に弱い私にとって、年末までに用意しなければいけない年賀状、大晦日で仕上げなければいけない大掃除は大敵なんです。

今ブログに向かっているのも、逃避なのかな〜。でも、なにか他のことに手を付けることで、勢いがついてやるべきことにも手が伸ばせることもあるから、なにもしないよりはいいのかもしれないし。



最近、やっとこの焦りの原因と精神不安定の関係が理解できるようになったので、解決すれば落ち着く、という当たり前のことも納得できるようになりました。

それで思ったんですが、私は、こういう当たり前のことを、経験や自分の頭で理解して身につけたんではなくて、知識として知っていただけだったんだということ。答だけ知っていて、どうしてその答えになるのかわからない、どうやって使ったらいいのかわからない、という状態だったんじゃないかと。

私は焦りと、やらなくてはいけないことの間に関係があるらしいことを知っていながら、やってしまえば終わることも知っていながら、「やってしまう」ということができません。「早く答を出しなさい」という声だけが頭に響いていて、答を出すための行動ができません。実感としてつながっていないんです。

そして、頭の中の声に急き立てられて、「嫌だ嫌だ」と思いながら無理矢理やらなきゃいけないことをやっているうちに、やりたいと思っていたことまで、このパターンにはまってしまっている気がするんです。

やりたいことのはずなのに、なかなか手がつかない。そのうち、やりたかったはずのことなのに、頭の中ではやらなきゃいけないことになっていたりする。本当にやらなきゃいけないことがある時に、なぜかやりたいと思っていたことを始めてしまったりする。なぜか、こうすることで、やらなきゃいけないことにも取り組めるようになったりする。

なんだか、思考経路が混乱してる気がするんです。

「早くしなさい」という声に急き立てられて成したことは、成功体験にならないんじゃないか。自分の力で成し遂げたこととして頭に残らないんじゃないか。そういう気がしています。自分でやろうとして、自分で考えて達成したこととは、頭に記憶される経路が違うんじゃないだろうか・・・。

やらなきゃいけないことを、やりたいことに変える必要がある?だからやりたいことを先にやって、やりたいことをやる勢いをつけないといけないのか?



なんだか、まだまだ混乱してまとまってませんけど、なんとなく、こういうことをしっかり考えるのが、子供を育てる上でも役に立つ気がしています。

今の私の状態、夫婦の状態は、私が子供を育てるためにとても大切な気付きを与えてくれます。一つ一つ、深刻にならない程度に、考えて自分のものにしていきたい。そう思っています。
posted by 蝉ころん at 10:42| Comment(4) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月15日

母の期待

私は母の期待に逆らった生き方をしてきたらしい。

私が夫と付き合いだしたとき、母の反感を感じた。はっきりと言葉では言わないものの、態度に現れていた。

私が夫と結婚を決めたとき、母の落胆を知った。このときは言葉でも言われた。「お前は結婚はしないと思っていたけど。」と。

私が子供を産むために仕事を辞めたとき、母ははっきりとがっかりしていた。

どのときも、その後には特に後腐れもなく、普通に対応されていて、子供を産んだあとはむしろ大喜びで孫を構いにくるので、ああ、こんなに喜ぶならこれでも親孝行になるんだな、なんて思っていた。



私は、母の反応に縛られていた。反感をかってまで付き合っている相手とそう簡単には別れられない。落胆させた結婚を失敗するわけにはいかない。がっかりさせた失業も、家庭を円満に運営して見返してやらなければ。私が選んだ道が失敗だったとは言わせない・・・。

そんな気持ちがあったと思う。

父に対しても同じように思っていたけど、それは家庭の意志の代表が母だったからで、私が縛られていたのはやっぱり母だった。

私は母にずっと期待されていた。母の進めなかった道に進むことを。男に支配されない人間として生きることを。はっきりと言葉にされたことはないけれど、母の父に対する思い、生育環境で得た男尊女卑への怒りを、私に投影されていた面があると思う。

夫との関係から離れられなかった理由はここにもあったんだと思った。私は母に失敗するところを見られたくなかった。今までも、母に対して罪悪感のようなものがあるとは思っていたけど、それだけじゃない、失格者の烙印を私は怖れていた。

私を縛っていたのは母だった。

私が私の「お母さん」になり始めたことで、このことが見えてきた。呪縛からのがれつつあるのかもしれない。
posted by 蝉ころん at 21:26| Comment(3) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月13日

1章−3 見捨てられ体験

久しぶりにワークの続きです。



本によると、子供が持って産まれてくるという権利の目録は次のようなものだそうです。

・誰かの期待通りの存在だからでなく、ありのままの自分として大切にされる
・親の喪失を埋め合わせるための存在ではなく、その子自身として慈しんで育てられる
・一貫性と、安全と、理解を与えられ、無条件に愛される。
・ひどく傷つくような状況から守られる

どうだったかな、と考えました。

<家庭で>

ありのままの自分として、大切に・・・無下に扱われた記憶はないです。でも、大切にされたというより、存在を許されていた、という感じです。ただありのままの私でそこにいることができた。

親の喪失の埋め合わせにされていた部分は、ある意味あったと思います。母が、自分ができなかった自立の道を私に歩ませたかったらしいこと、父が、幼少の頃に亡くした父の母の面影を私に見ていたことから、父も母も、私に特定の女性像を夢見ていたように思います。

一貫性はありません。父の機嫌に左右される環境でした。父が怒鳴っているだけで力をふるわれるわけでない環境が安全というなら、安全でした。でも心は安泰じゃなかった。母には、理解されていた方だと思います。ただ私と私の環境を守れるほどの力はなかっただけで。ただ私と言うだけで、の愛情は、受けていたと思います。それなりに。私は人生のレールは敷かれなかったし、家業を継ぎたいという望みとアルバイトをしたいという以外は、ほぼ私が望んだ通りに道を選ぶことができましたし。それを愛情と言っていいのか、今の私にはよくわからなくなっていますけど。

ひどく傷つくような状況からは守られませんでした。父と母が口論している、父と兄が大声で罵っている。私は渦中にこそいなかったけど、傷つきました。渦中に入れないことでもさらに傷つきました。



<学校で>(おもにいじめを受けていた小中学時代)

先生の期待通りの存在でないから、私の能力は認めてもらえませんでした。クラスメイトからも、異端児として阻害されていました。大切にされた経験はありません。

家庭でストレスを抱えた子の発散の道具としていじめられていました。いじめるための存在で、私個人の感情なんて気にされたことはありませんでした。道ばたでいじめられていても横を大人が平気で通り過ぎるので、いじめられる子は放っておかれるものなんだと体で覚えました。

一貫性はありました。私には権利がないという形で。安全はありませんでした。一人でいても、常に周囲に気を配っていました。大勢でいたら、常に心に壁を作っていました。理解は得られなかったし、無条件で迫害されていました。ただ私だからという理由でいじめられていました。

傷ついていても、いじめられる方に原因があるわけで、身を守るのは私自身がすることでした。先生はむしろ、いじめを助長して、傍観していました。



けっこう権利を踏みにじられてる、と思っていいんでしょうね。私は家庭でのことより、学校でのことに深く恨みを持っている自覚がありますけど、ただ存在することを許されていた家庭と違って、学校では存在しているだけでいじめられていたので、一つも権利を認められてなかったんですね。もちろん「教育を受ける権利」はありましたけど。

ただ、学校に強い恨みを持っているのは、それだけ執着も深いということなんだとも思います。マイナスの関わりでも、ないよりマシなんだという話もあります。家庭ではほとんど放置でしたから、いじめという形であれ私を構う存在のいる学校に、しがみついてしまっていたのかもしれません。



<身体的な見捨てられ体験>

身体的には、家庭では全く不自由なく育ちました。栄養も考えてくれた食事、暖かい部屋、暴力もない。兄弟喧嘩こそしたけど、私もやり返していたし、言いつければ母は兄を叱ったし、対等な立場でのやり取りだったと思います。

学校では暴力をともなういじめがあり、先生も根本的な介入をしようとはしてくれませんでしたから、常に安全を脅かされていました。テスト中にカンニングの冤罪を受けたり、忘れ物をして廊下に出され授業を受けられないなどは教育を受ける権利も剥奪されていたかも、と思います。

給食の時間には、食が細くて食べきれないのに大量に盛られたり、食べ終わらないとそのまま掃除が始まって、ほこりの立つ教室で砂の味のするおかずを食べたりと、衛生面での安全も守られていなかったと言えるかもしれません。



<情緒的な見捨てられ体験>

・親が子供の感情やニーズに無関心だったり情緒的に不在の状態が続く

まんまです。父はほとんど物理的にいなかったし、私に取って親といえば母。でも、私が構って欲しい時には母はおらず、母のいる時間帯は母は忙しくて、いつも兄と二人で遊んでいました。兄に泣かされたときでも、母は兄を叱るだけで、私を慰めたりと言うことはありませんでした。ただ母がめんどくさくならないように、私を泣かさないで欲しかっただけなんでしょう。

・受け入れてもらうために自分の感情を隠さなければならない

「それくらいのことで泣かないの」というのはよく言われました。しつこく泣いていると放っておかれました。年子の兄に許可されたことでも私には許可されないことがたくさんありました。私にもできると言っても受け入れてもらえませんでした。私はなにができるようになっても、「当たり前」でした。自分でも、そんなもんなんだと思ってました。

まったく愛情を示されたことがないです。親の年代では仕方ないことなのかもしれませんけど、言葉でも態度でも、とても大切にされている!と実感するような行動を示してもらったことはありません。高校の頃、家族旅行に行った時に私の寝顔を写真に撮られていて、それを見た母が「かわいいねえ」と言ったので、そこで初めてお母さんは私がかわいいんだ、とびっくりしたくらいです。もっと早く示してくれたらよかったのに・・・でも、この一言で、私はずいぶん救われたように思います。



これだけ書いて思ったのは、家庭ではやっぱりネグレクトに近かったのかなと。言葉も、スキンシップもほとんどなかった。こちらから働きかけて、ほんの少し返ってくるだけでした。よく邪魔にされていました。だんだんと親に関わろうとしなくなりました。そのうち成長すると、関わりが増えてきました。このころは、もう親に頼られていたようです。相談相手になっていました。

子供としては、見捨てられていたようです。
posted by 蝉ころん at 16:07| Comment(0) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月12日

まだまだワークから外れています

最近子育て関係の情報をよく読むようになりました。

実際に子育てに必要だから、というのもあるんですが、今までほとんど気にしなかったのにここへきて急に、というのが自分に取って何か意味があるんだろうと思います。自分のチャイルドを育てるためという意味もあるのかもしれません。

チャイルドを「あなた」、私を「お母さん」と呼称してチャイルドの癒しをするようになってから、止めどなく泣いてしまうことがなくなってきました。まだそれほど長い期間は経っていないので、はっきり言い切ることはできませんけど、自分の中では、かなり手応えを感じています。

思えば、私が「ママ」という呼称を嫌って、子供には頑に「お母さん」と呼ばせていたのも、私自身が母を「お母さん」と呼んでいて、まだ「お母さん」を必要としていたからなのかもしれません。

最近も、子供のため、子供のため、と、夫から離れるのか共存するのかを悩み続けていますが、この悩みにも、私のチャイルドのため、が含まれているような気がしてきました。

私はいま3人の子供を育てているんです。夫も子供ですけど夫を育てることはもう手放してますから、数には入れていません(笑)。泣き虫の私のチャイルドと、拗ね魔の上の子と、甘え盛りの下の子と。3人兄弟と思えば、上の子にストレスがかかっているのもますます納得がいきます。真ん中っ子のようなものだったんだなって。

でも私のチャイルドは、声に出さなくても、子供たちにバレないようにかわいがってあげられるので、焼きもちを焼かれたりすることはないと思うんですけどね。

大人の私も育てています。子供を叱らずにイライラを乗り切ったときなんか、ベタ褒めです。「エライエライ!よくがまんできたね、母親の鏡!」って。かなり子供扱いですけど。これでいいんだ!っていい聞かせながらやってます。私、褒められベタなんですけど、自分で自分を褒めているうちに褒められ上手にもなれたらいいな〜なんて思ってます。

このときも、褒める私は「お母さん」、褒められる私は「あなた」です。「他者」の立場で褒める、褒められることに意味があるんだと思ったから。以前も、自分で自分を褒めるってしたことがあるんですけど、「私って偉いな〜スゴイ!」なんてしてても、なんか虚しいんですよね。それに、なんだかナルシストっぽい危うさがあるでしょ?でも、「他者」を登場させると、妙にこっぱずかしいものの、じんわりあったかくなるような満たされるような感覚があるんです。

今まで、私の中にいた「他者」は私を監視しているばかりだったけど、見守ってくれる「他者」を育てればいいんだなって、なんとなくわかってきました。

それで、子供関連の知識の収集に向かっているのかな〜って。自分を見守って育てるためですね。それが結果として子供たちのためにもなるんなら、まずは自分に実践してみるのも悪くない。子供を健やかに育てるためにも、健やかな自分を育めたらいいなって思います。



このへんのことは、夫との関係とは、また別の話です。相変わらずコントロールを手放そうとしない夫は生活費を切り詰めてきましたし。

夫と過ごす時間に効くように薬を飲むようになって、さらに、この「他者」の視点を手に入れてから、ますます夫のことがどうでも良くなってきていますけど、こういう時こそ要注意なんですよね。夫は自分の上位を見せつけるため攻撃がすごくうまいですから。こちらが道を見つけたと思って油断した頃に必ずなにか仕掛けてきます。生活費切り詰めもその一環でしょう。負けるもんか!

同居中の皆さん、年末年始も控えているし、気を締めていきましょうね!
posted by 蝉ころん at 10:10| Comment(2) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月09日

今読んでいる本

ワークをさぼってこんな本を読んでます。

「心からのごめんなさいへ ー一人ひとりの個性に合わせた教育を導入した少年院の挑戦ー」

これは一人の母として、子育ての参考になるかも、という気持ちもあって選びました。自分の過去や最近のニュースを思うと、いつ子供が犯罪者になっても不思議はないと思うので・・・。

犯罪を起こす少年達は、やはり問題のある家庭で育った子達が多いようです。そして、発達的に障害を持っている可能性のある子達も。

でも、宇治少年院では、自分育てや、カウンセリングの手法は、時間のかかるもので、最後までサポートできるのでない限り安易に手を出してはいけないと、少年院のようなすぐに出院してしまうところには向かない手法だとして、別のアプローチをされています。

過去に焦点を当てて癒すのではなく、未来に焦点を当てて、今この時点から育てることを実践されている・・・そんなふうに捉えました。

行動療法的なアプローチということです。できないことをできるまで徹底してやる。なぜできないかを考えて、個々に合わせて取り組む。成功体験を積むことで、自信をつけていく。そして教官からの励ましと受容・・・。

厳しい規律と規則正しい生活の中、子供たちは、確実に変わっていっていました。自発的に学習に取り組み、目標を持ち、ルールを決めて生活する。普通に学校に行っている子供たちよりよほど前向きです。こんなところなら入りたい!って思ってしまったくらいです。



子供を育てるとき、大切なのは母性と父性だと言いますね。このときの母性父性は象徴的なもので、女であること、男であることは関係ないという話です。体や心を守り育むのが母性、外から家庭を守り、社会を体現するのが父性だと、私は理解しています。

この宇治少年院での取り組みは、父性を象徴しているように思いました。厳しい規律で、仲間から脅かされることを防ぎ安全を保障する。教官が手本を示し、首尾一貫した指導をすることで、社会規範を示す。そして少年達は、私語を禁止された中で自分のことをじっくり考える時間を得る。少年達は、自分たちができないと思っていたことができるようになるにつれて、自信をつけていきます。

カウンセリングは、どちらかというと母性からのアプローチなのかな。育ち損ねた心をほぐして、絡んだ感情を解きほぐしていって、もとの素直な感情を引き出して、もう一度自分を受容することができるようにする・・・。否定している自分を解き放ってやる。

向き不向きがあるし、状況によって使い分けるべきことのように思いますが、どちらも、やはり自己評価を高めることに鍵があるんだな、と思いました。



それから、少年達の言葉に出てくるもので、私の心に残ったのは、未来、将来への夢でした。一瞬先のことさえ考えられず衝動的に行動していた少年達が、この本で語っていた全ての少年が、未来の自分像を語っていました。

これも回復のバロメーターだなって思いました。

私は、まだ未来の自分を見ることができていません。少年たちに追いつかなくっちゃ。
posted by 蝉ころん at 20:17| Comment(3) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月08日

励ましてもらってきました

今日、子供関係の相談室みたいなところに行ってきました。

で、現在の夫婦状況を話して、もうたぶん離婚しかないんですという話になったとき、あなたは覚悟はできてるの?と聞かれて、

「はい、いっそ今すぐ家を出たいくらいです」

と言ったら

「出たらいいじゃない」

とあっさり言われて拍子抜けしてしまいました。

こういう方もいらっしゃるんですね〜。珍しいリアクションで、方の力が抜けました。



昔は経済力がなかったら子供は夫側に取られるケースも多かったけど、最近はそうでもなくなってきていることとか、納得のいく条件に落ち着くまで絶対にはんこを押しちゃいけない、とか、いざとなったら裁判所に行きなさい、なんて、力強く応援してくれました。

調停も裁判も知識としては知っているけど、やっぱり生の声ではっきり言い切ってもらって力がわきました。ぐっと現実感が増した感じです。

なかなか身近な人には悩みは話せないけど、相談できる場所があるのは心強いです。やっぱりいいところだなあ、ここ。離れたくないなあ。でも逃げる先としては近場は危険ですよね。

住みやすそうなところを探しておかないとな、と思ってます。でもどうやって探したらいいんでしょうね?

物価の安さ、職場(予定地)からの便の良さ、子供にとっての住み易さ・・・

あんまり考え過ぎても仕方ないですけどね。


それにしても、人の言葉に弱い私ですね。力づけられれば前向きになるけど、批判されれば後ろ向きになってしまう・・・まだまだ自分の気持ちで進んでないからなんでしょうね。
posted by 蝉ころん at 14:22| Comment(0) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月07日

学校でのエピソードといじめについての雑感

相変わらずワークに手が付きませんが・・・(^^;

昨日なつ草さんのブログ記事「折りかけの鶴」を読んで、コメントを書いていたら、またまた気付きがありました。

今に残る私自身の罪悪感やいたたまれなさの原因は、大部分が小学校生活で築かれたものだろうということに納得しました。もちろん家庭の影響もあるんですが、私にとっては学校や幼稚園といった、社会の集団生活の方が影響が大きかったようです。

そして、前回の記事で「一緒に変える友達が忘れ物をしたら?」という場面での私の行動も、このころに築かれた信念がそうさせていたんだ、と理解できました。こちらについてはまた加筆したいと思います。

さて、なつ草さんのブログで取り上げられていたエビソードは、「折り鶴を折りましょう」という課題にクラスの一人一人が取り組んでいる場面でした。

私が思い浮かんだイメージは、私ならきっと自分のものを完成させたら人の手伝いをしてあちこちよそ見をしまくっているだろう。いざ提出となったら、うまくできなかった子に完成作品を横取りされていて、私は先生に怒られ、誰も私を援護しないだろう、というものでした。

これ、普通にこんなこと言ったらものすごい被害妄想っぽいですよね。でも、似たようなことが、現実で何度もありました。カンニングの冤罪とか、物を隠されたりとか、誰かのいたずらの罪を着せられるなんてしょっちゅうでした。いつでも援護者はいませんでした。

そしてだんだんと、人生哲学が私の中に根付いていきました。

・自分の成果は人から隠しておかなければいけない、気に入られてはいけない、さもないと手柄を取り上げられる

・自分のテリトリーを離れてはいけない、誰かが手を出さないように常に見張っていなければいけない、大切なものがなくなるのは、見張りを怠った自分のせい

・他人は私を都合よく使う、利用価値のあるときだけ利用したら、あとはただの他人に戻る、頼られたからといって受け入れられたと勘違いした私が間抜けだ

・だからといって頼まれたことはしなくては悪者にされる、利用されていると諦めて利用されておけ

・大人・権力者は敵だと思え、誰も真実なんか見ていない、ただ都合のいい結論を弱いものに押し付けてくるだけだ、弱者に反論の自由はない

・一分の隙もなく正しくなくてはいけない、さもないと隙をついて悪者にされる、隙なくできないなら弁解せず甘んじて悪者になれ、どうせだれも言い訳など聞きはしない

こんな、他者不信のかたまりのような考えを私は小学生低学年の頃から既に持っていました。大人ならここまで思いつめなくても・・・ってなりますけど、子供の私には精一杯の身を守る術だったんですよね。周り中敵だらけで、誰が信用できる人間かわからないんですから。なかには悪意なく加担してしまっていた子もいたでしょうけど、それを判断できるほど大人じゃないですし。むしろ、よく自分を守ったなって思います。

早く大人になって、権力者に縛られない自分のテリトリーを築いてやる。

これが私の夢でした。これは子供の夢でしょうか。私にとっては野望でした。でも、これって、大人が、子供のために築いてやるはずの部分じゃないでしょうか。子供がのびのびと自分を出して楽しめる場所、ルール、仲間・・・・そんなものを一から自分で築けるようになるまで、私は自分であることを諦めていました。

これはちょうど、家で兄との差別的待遇にショックを受けていた時期とも重なります。私は家でも学校でも自分でいられる場所がなく、受け入れられる仲間もなく、ただ、自分で自分の世界を切り開くことだけを希望にして、大人になることだけを目指していた時期でした。

幸いにも、私は高校で自分の場所を得たので、社会、他人に対する壁は少しずつ壊すことができて、復讐的な意味合いは出てこなくなりましたが、小学校で得た人生哲学は、意識に上らずとも私を縛っていたんですね。

私は今でも、自分の行動を隠そうとするし、自分の場所やものを無断でいじられると理不尽なほどの怒りが沸くし、ものを頼まれるのが嫌いなくせに断れない、部外者は信用するのに身近な権力者ほど信用してない(信じなきゃ、と思っているけど内心で疑っている)、難しいことをやろうとするくせに少しでも失敗したら突然あっさりとあきらめてしまう・・・・・などなど、自分でもおかしいと思いつつ直せないところが沢山あります。

少しずつ見つけては、潰していくしかないんでしょうね。



昨日このことで泣いた時、この泣けてくるのはきっと私のインナーチャイルドなんだと思って、慰めようと試みたんです。今までは、「頑張ったね、私、えらいえらい」なんて言ってたんですけど、昨日は無意識に、「頑張ったね、あなたが頑張ったの、お母さん知ってるよ、もう頑張らなくていいよ」って、大人の私を「おかあさん」、子供の私を「あなた」と呼んでました。

そしたら、すっと涙がひいたんです。今までにはなかったことです。

チャイルドは、お母さんに慰めて欲しかったのかな?ずっとお母さんを求めていたのかな?なかなかうまくチャイルドと自分を切り離せなくて、癒せている実感がなかったんですけど、昨日は少し気持ちが軽くなった感じがしました。チャイルドの感情に共感はしても巻き込まれてはいけない、というのが難しかったんですけど、これでいいのかな?と思いました。子供をあやしているときと同じ感じなのかなって。

しばらく、チャイルドの「お母さん」でいてみようと思います。



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ちょっと話が変わりますが面倒くさいので一つの記事で失礼します。

最近、学校でのいじめ問題についてかなり話題に上るようになってきました。

私自身の経験からですが、小学校中学校の義務教育では、9年間ずっと、同じようなメンバーでの生活が続きます。クラス替えや中学入学があるにせよ、影響力を持つ人物にターゲットにされれば、その影響はずっと続きます。

しばらくいじめ被害に遭えば、そう簡単には「いじめられにくい性格」には変身できません。

やっぱり、この時期の学校生活は、家庭環境と同等くらい、人格形成に影響を与えるものです。いじめについて、最近見聞きするものでは、

いじめをしてはいけない、させてはいけない、ほうっておいてもいけない、

という、いじめの現象自体に着目している文章です。これではなくならないな、としか思えません。むしろ、表に出ない、より陰湿な形に変わっていくだけ。

いじめたい子は、なにをどう説いてもやるんです。それがストレスの発散法として身に付いている限り、やるんです。いじめる子はいじめられる子に責任転嫁してますから、自分を正当化してますから、いくら周りが「それはいけないこと」と教え込んでも、「でもあっちのほうがもっと悪い」と考えればいくらでもできるです。いじめられる子を援護すればするほど、いじめる子の怒りはパワーアップして、さらに破壊的になるだけです。

いじめる子といじめられる子は裏表だと思うんです。私はたまたまいじめられる側だったけど、いじめる側にまわる要素も持っていました。それが表に出なかっただけで。私をいじめていたある女の子は、転校前の学校ではいじめられていたと聞きます。どちらに転ぶかわからないんです。

いじめられる子を守るなら、いじめる子もケアしてほしい。原因を取り去ることは難しいだろうけど、せめて、いじめる子が、いじめることで逃していたストレスを、ぶつける場、発散する方法を探してあげて欲しい。大人本意の押しつけでなく、一人一人に合った方法を、探す手助けをしてあげて欲しい。

相手を思いやっていればいじめないんじゃない。思いやっていてもいじめてしまう心理をもっと見つめて欲しい。
posted by 蝉ころん at 12:13| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月03日

私が憧れたもの

なかなかまとまった時間がとれなくて、自分育てのワークの方が進みません。
今日は、前に書いていてまとまりきらなかったものを少し書き直してみました。

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私はもともと、あまりやさしい人間ではありません。

また子供の頃の体験に戻って例を挙げてみます。

学校の帰り際、一緒に帰る友達が忘れ物をした、という状況だとします。あなたならどうしますか?

(1)「そんなの知らない」と言ってさっさと帰る
(2)「取っておいでよ」と言って待っている
(3)「一緒に取りにいこうよ」と一緒に行く
(4)「取ってきてあげる」とダッシュで取ってくる

私は、自分が忘れものをしたときはたいがい(1)の反応をされていました。友達が忘れたときは、(2)で対応していました。

(4)は・・・ときどきこういう子いますよね。でも他人の問題にそこまで手を出すのはかえって相手に悪いと思っていたし、(3)でさえ、頼まれもしないのに率先して付き添うって保護者みたい?と疑問に思っていました。少なくとも私は付き添ってもらうのは嫌でした。だからって(1)では友達としては冷たすぎる。

これは、小学生にしてはかなりいいバランス感覚だったんじゃないかと、いろいろと知識を得た今では思います。

でも、私はいつも(2)の対応をしては冷たいヤツ、という扱いを受けていたし、他の人達は、私が相手でない時には(3)や(4)のやり方をとることが多く、私はだんだん(ひょっとして私は冷たいのだろうか?)と思うようになっていきました。

それで、本心では(2)でいいと思っているのに、「いい人」になりたいがために、「いい人」と思われたいがために(3)や(4)の手段をとるようになっていきました。



私は自ら境界線を踏み越えていきました。そこに見えているにもかかわらず、それはただの名目に過ぎないんだと自分に言い聞かせて。それは、他人が信号を見ずに堂々と渡っているからと言って、赤信号を無視するようなものでした。

私は私の中に規範を持っていたのに、それが、まだ未完成の子供の狭い世界で受け入れられなかったからといって簡単に捨て去ろうとしていました。



本当にいい人なら、自然に、本当に相手のためになる行動ができていると思います。押し付けがましくもなく、ただこうしたいと思ったからしたことが相手のためにもなった、というような、無理のない行為です。感謝されなくても気にしないし、いいことをした、なんて思ってないです。

でも私みたいなのは、いい人になりたいがためにいいことをしようとしているので、やっぱり無理があるんです。自然じゃないし、相手のため、より、ここでこう手を出すといいことになる、という形にとらわれてます。しかも私は、本当は違うようにした方が相手のためになることまでわかってるのに、「いい人じゃない」と思われる怖さについ手を出してしまいます。

二重に自分を裏切っていると思います。

最近はだいぶ誘惑に乗らないようになりました。私がしたいことか?相手が本当に望んでいることか?今すべきことか?そんなふうに自問するようになったから。

自分が「いい人」の呪縛から逃れたら、なんとなく気持ちわるなと思っていた他の人の「いい人」行動の動機も見えてきました。なにもしないことに耐えられなくて手を出してしまうとか、特別な存在であることをアピールするためにしているとか。

私は、私の存在をただ受け入れてもらうために「いい人」をしていたと思います。特別じゃなくてもいい、ただ、忘れ去られるのが嫌だったんです。長い間、忘れられた存在だったからかな。




思い返してみて、私なりにバランスを持っていることもわかったし、これからは「いい人」にとらわれないでいけそうです。あんまりやさしくない私だけど、私なりのやさしさは持ってるんだし、それを大切にしていればいいんだなって、そんなふうに思いました。
posted by 蝉ころん at 14:35| Comment(6) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年12月01日

診察してもらいました

心療内科に受診してきました。

一通り状況を説明して話を聞いてもらった後、薬の処方についての話がありました。ここで、私から、薬に対しての不安があること、服用の習慣がないので、薬が効きすぎる傾向があることを話しました。それから、夫と接触のある時に精神的な動揺がひどくなる以外は割に普通に過ごせるので、できれば夫と過ごす時間だけ薬で動揺を抑えることができたらいいのに、と思っていることも。

この日、前日に夫が早く帰ってきたり、いろいろあって精神的に参っていたようで、家を出るときからすでに気分が重くて、肩は凝るし、電車でも酔っちゃうし、待合室ですでに涙が出てくるし、診察のときも当然泣いちゃうし、もう状態は最悪でした。普段ここまでひどくないのに!ってくらいでしたけど、医師に一番ひどいくらいの状態を診てもらえたのでかえってよかったかもしれません。

医師からは、抗鬱剤、抗不安剤の説明を受けて、本来なら、今の状況からすると抗鬱剤を処方したいところだけれど、薬に対する不安がある、依存傾向があることから考えて、より依存性の少ない抗不安剤を処方して効果を見てみる手もあります、という提案があり、まず抗不安剤のみで様子を見ることを選択しました。

この抗不安剤、24時間の持続時間で、即効的な聞き方でないので、効き目がはっきりしない分依存性は少ないとのことでした。実は薬に対して依存するかも、という不安は持っていなかったので、そういう可能性もあるんだと再認識しました。確かに最近依存傾向あるし・・・。それから、抗鬱剤はある程度飲み続けないと効果が現れないのに対して、この薬は飲み続けなくても、単発で服用しても効果があるというのも私の目的に合っているかな、と思いました。

早速飲んでみましたが、就寝前に服用して次の日、朝、夫が起きてきても私は起きる気にならず、そのままだらだらと布団に入り込んでいました。目が覚めているのに。

起きれない、じゃなくて、起きない、という感じでした。起きれないことに不安を感じてない、そういう感じかな?と思いました。これ、ちょっと意外で、私は、「夫がいる空間で過ごすこと」が平気になればいいな、と思ってたのが、「朝だけど寝ていること」が平気になったみたいでした。夫がいようが寝ていることに罪悪感を感じていないのが、効き目なんでしょうか。

それとも、薬を飲んだことで大丈夫だって暗示にかかってるのか?そんなふうに思ってしまうくらい、違和感がありませんでした。これなら、ためらわずに服用できそうです。

ただこのあと、いろんなことに全然やる気が出ません。たいがいは家事ですけど。やる気が出ないことに危機感を持たなくなったような・・・それも困るんですけど。(^^; しかし、ということは、そんなに普段の私は不安から動いてたってことなんでしょうか。それはそれでショックかも・・・。
posted by 蝉ころん at 22:55| Comment(4) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

言葉が届く時

夫との関係がおかしくなってから、いろいろな言葉にヒントをもらい、知識を得てきました。

なぜこんなにタイミングよく、ピッタリの言葉と出会えるんだろう、と思うこともありました。

でも違うんですね。言葉は常に私のまわりに情報としてあふれていて、必要のない時には素通りしているだけ。私がそういう知識を必要とするようになったから、私の気に留まるようになってきたんでしょうね。私も知らず知らずに情報を選んでいたんだな、と思います。

子供としっかり向き合わなければ虐待の真の意味はわからない。

人間関係に真剣に悩まなければハラスメントの意味もわからない。

逃げ続けていたら、気付けなかったこと、目にとまらなかったことが沢山あります。私が気付くことのできた最初の子供からのサインを、今はとてもありがたく思います。気付くことができた幸運を感じます。



夫は、気付きの機会があったのに、そこから逃げることを選びました。

仕方のないことなんだろうと思います。

私は生育環境を否定して育ってきたから、私に根付いている常識を疑うことに抵抗は少なかったけど、夫は何の疑問も持たないように育っていますから、言葉が届かないんですね。逃げていた方が楽だから。自分を疑わずにすむから。

もともと自分を疑っていて、それを認めている私より、言葉を受け入れるためのハードルが高いんでしょう。



私は好運でした。子供を育てなければ、一生気付かなかったかもしれない私の一面を知ることができました。これからも、言葉をキャッチするアンテナをうまく使っていきたいな、って思います。
posted by 蝉ころん at 10:32| Comment(2) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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