2006年11月20日

少し足踏み

自分の過去を書いているうちに思い出したことです。

私は、小さいころ「死にたい」と思いながら生活していました。幼稚園時代はあまり記憶にないのでわかりませんが、「死」という概念を知った頃から、既にそういう願望があったように思います。

私にとって、死は、痛みを伴うであろう恐いものでもあり、現状から逃れる救いでもありました。

最後の最後には死ねばいい。だから今は頑張ろう。死ぬ方が恐いうちは、とにかくやりすごそう。

ずっとそう思って、いじめも耐えてきました。

どうしようもなくなったとき、死を選ぶことができる、という、最後の選択肢は、私を勇気づけてくれました。

そして、いじめの現場から脱出し、男社会で生きて行く術を手にするにつれて、この選択肢のことは意識にのぼらなくなりました。



今、夫と暮らしていて、またときどき「いっそ死ねたら」と思うことがあります。でも、昔は「いつでも死ねる」と頑張れたけど、今は「死ねない」「死ぬわけにはいかない」と思います。子供にそんな傷を負わせられない。きっと一生罪悪感を背負ってしまう。

前向きになれたわけではありません。逃げ場を失ってしまっただけ。私はいつのまにか最後の選択肢をふさいでいたんです。

死ぬことは逃げることかもしれない。たしかに卑怯なことかもしれない。でも、私にとっては大切な切り札だった。私が子供を産みたくなかったのは、子供に対して責任を負いたくなかったからかもしれません。

私は子供と引き換えに、最後の選択肢を手放していたんです。

夫の生活で閉塞感を感じるのは、このせいもあると思いました。
posted by 蝉ころん at 15:09| Comment(16) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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