2006年11月22日

足踏み その2

wingseedさんにコメントを書いていて気付いたことがありました。

私は、私の存在感の無さアイデンティティにして生きていたのかもしれないです。

夫と結婚して、退職するまでしばらく家事は半々でやっていました。それは、家事そのものの負担を半々にすることだけが目的だったんではなく、「私がいなくなっても夫が困らない」ということを目的に、夫に家事を教え込んでいた面がありました。

子供を産んでからも、夫にはなるべく育児に関わらせていました。いくら嫌がろうがウンチのおむつ替えをさせ、ほぼ完全母乳だったにもかかわらず、ときどきミルクを夫にあげさせたり、お風呂に入れさせたり、食事の世話もさせたり。

おかげで、夫は家事も普通にできるし、子供の世話も余裕でこなします。

私は夫の世話をしないという形で、夫を育てるという形で、夫の世話をしていたのかもしれません。その点で私は母のような振る舞いをしていたかもしれません。

そして、上の子も、そんな風に育てていたように思います。私がいなくても大丈夫なように、近所の人達にも馴染ませ、夫にも懐かせようと、私との関係より、他の人との関係を重視して育てていた気がします。

生活面でもそうでした。なるべく自分で色々なことができるように、1人でも生きていけるように、そんなふうに育てていました。

私は私の存在を消すべく生活していました。私がいなくても生活がまわるように、誰も困らないように。

このとき、まだ私の中の「死んだらいい」という選択肢は有効だったんじゃないかと思いました。「死ねるように」生活するということが、いつのまにか私の生き方になっていたんじゃないでしょうか。



それが変わったのは、上の子のトイレへの異常な執着を目の当たりにして、このままではいけない、と自覚した日からでした。

子供の気持ちを見ようとするようになったし、家事を後回しにするようになったし、自分の楽しみも捨てないでいようとするようになった。遅くまで帰ってこない夫をアテにもしなくなった。

私はやっと生きようとしだしたんじゃないか。

家事を後回しにするということは、次のタイミングに自分がいることをアテにしていることです。私が突然いなくなったら困ることを作っていることなんです。私は明日もここにいる。そんな、普通なら気にもしないことを、やっと自覚して生きだしたような気がします。

私が私の存在を残すようになった。存在を自分で認めるようになった。そんな変化が、あのとき、私に起きていたように思えてきました。私が自分の存在を消そうとしていることを、子供が教えてくれたんだ、と思えてきました。




それからこれは、夏草さんのブログともかぶりますが、私が自分の存在を認めだしたこの時期は、夫の在宅時間が極端に減った時期とも重なります。

夫の呪縛が溶け出したころなのか・・・?そんな気もしてきました。
posted by 蝉ころん at 21:53| Comment(4) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月21日

夫のセルフイメージ

夏臭さんや、他の方のブログを読んだり本を読んだりして、やっと納得できるようになったことを書きたいと思います。


夫と話し合いをしていて、言われること。

「お前は悲観的すぎる、俺も昔はそういうところはあったけど、今はそんなことはないぞ」
「きれいにしようと思わないのか?」
「なんで今の自分に安住して上を目指そうとしない」
「仕事を舐めてる。甘いことを言ってる」

こういうことを言われて、いつも疑問に思うのは、あんたにもそんな時期があったでしょう?ということ。そういう時期があったことを、私はこの目で見て知っているし、余計になんでそこまで自分はそうじゃないと思えるのかが不思議だった。

夫は、昔の自分に思いを馳せて、こういう時期もあるんだよな、なんて人を見ることができない。

夫には、現在の自分、未来のあるべき姿の自分しか見えていなくて、過去のちっぽけな自分、栄光から取り残されていた頃の自分は受け入れることができないように見える。そして、また一歩前進したら、今の自分さえ切り捨てるんだろう。

私は過去の夫を投影されているんだな、と思うようになった。

夫が攻撃しているのは、過去の夫。捨て去りたい、恥ずかしい自分。夫は、昔の自分を自分として認められていないんじゃないのか?と、思う。頑張った自分、成功した自分、楽しかった自分・・・そんな部分だけを大切にとっておいて、怠けていた自分、失敗した自分、悲しかった自分、そんなものを全部なかったことにして生きているんではないか、と思う。

自分の弱みを認められないから、人の弱みも認められない。そして、そんな、弱みを認められない自分さえ、私に投影して、こんなことを言う。

「お前はもっと、できないことはできないと認めて人に頼れ」

それ、あんたのことじゃないの・・・?

夫が何かに苦労しているとき、私が横からアドバイスをしたら睨みつけられたり、手伝おうか、と申し出てもはねのけられたり。自分ができないということを認められないのはあんたじゃないのか・・・。

こうやって、自分のいやな面、見たくない面を私に押し付けることで、夫は自分のセルフイメージを保っていたんだな。妻がどうしようもないから、それに影響されて俺までどうしようもなくなるんじゃないか、お前が悪いんだ、と。つまりは、私に勝手に投影しておいて、私の中に見える本当の自分の姿を見たくないと、そういうことなんだ。俺はそんな人間じゃないはずなのに、と。

なんとなく、私のことを言われていないような、私を見ずに私を論じているような、妙に論点がずれている感じがしたのは、夫のことだからだったんだな。

夫自身はどんどんセルフイメージを理想化している。私と言う投影対象がいなくなったら、理想的でない部分を夫はいったいどうして処理するんだろう。子供に向けるだろうか、母に向けるだろうか。それともあくまで私に向け続けるのだろうか。興味はあるけど、これは私が考えることではないかな。
posted by 蝉ころん at 09:35| Comment(4) | 夫を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月20日

少し足踏み

自分の過去を書いているうちに思い出したことです。

私は、小さいころ「死にたい」と思いながら生活していました。幼稚園時代はあまり記憶にないのでわかりませんが、「死」という概念を知った頃から、既にそういう願望があったように思います。

私にとって、死は、痛みを伴うであろう恐いものでもあり、現状から逃れる救いでもありました。

最後の最後には死ねばいい。だから今は頑張ろう。死ぬ方が恐いうちは、とにかくやりすごそう。

ずっとそう思って、いじめも耐えてきました。

どうしようもなくなったとき、死を選ぶことができる、という、最後の選択肢は、私を勇気づけてくれました。

そして、いじめの現場から脱出し、男社会で生きて行く術を手にするにつれて、この選択肢のことは意識にのぼらなくなりました。



今、夫と暮らしていて、またときどき「いっそ死ねたら」と思うことがあります。でも、昔は「いつでも死ねる」と頑張れたけど、今は「死ねない」「死ぬわけにはいかない」と思います。子供にそんな傷を負わせられない。きっと一生罪悪感を背負ってしまう。

前向きになれたわけではありません。逃げ場を失ってしまっただけ。私はいつのまにか最後の選択肢をふさいでいたんです。

死ぬことは逃げることかもしれない。たしかに卑怯なことかもしれない。でも、私にとっては大切な切り札だった。私が子供を産みたくなかったのは、子供に対して責任を負いたくなかったからかもしれません。

私は子供と引き換えに、最後の選択肢を手放していたんです。

夫の生活で閉塞感を感じるのは、このせいもあると思いました。
posted by 蝉ころん at 15:09| Comment(16) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月17日

1章−2 硬直性 シェイム

続けます。


「硬直性」

問題を抱えた家庭にはたいがい存在するという、硬直したルール。うちには特になかったような気もしますが・・・。

<どんなルールが存在していたか、それが今の自分に影響しているか>

・父が家にいるときは、父の意向が家庭の動向を決める指標だった。

機嫌のいいときの父は、気さくで、にこにことしていて、子供のゲームを一緒に(自分の方が夢中で)するような人で、子供の立場でいるうちは、緊張感はなかった。ただ、何か父が不満に思うことができると、「お母さんはどこ行った?」などと言い出し、欲求が満たされないと、とたんに大声で母を怒鳴りつけた。不満の原因が直接は私や兄のしたことであっても、全ては母にぶつけられた。

父が「出かけよう」と言えば、みんながそれに従ってすぐに用意をして出かけたし、準備が遅ければ突然父が怒鳴りだして中止になり、父だけが出かけてしまう、といったことは日常茶飯事だった。それも、私たち子供の用意が遅かったとしても、全責任は母にかかっていて、父の怒りが向かうのは母だけだった。兄は、自分のしたことで母親が責められるのがいやだったようだけど、結局は父に従うこともできず、逆らいつつも自分をも責めている母に当たるようになって行った。

→ 今、私が夫に対してとっている行動は、母のとっていた行動にとても似ている。夫がいるときは、夫の意向を最優先、私のしたいことがあっても、わざわざ夫がいる時に波風立てて居心地の悪い思いをするよりは、夫がいない時にすればいい・・・という考えで。

子供がいない頃はそうではなかったと思い込んでいたけど、それは自然にしていたことじゃなかった。父と母の暮らしぶりを見ていて、ああだけは絶対になるまい、私は自己主張をしっかりするぞ、と意気込んでのものだった。だから、子供ができて余裕がなくなったら、馴染んでいたやり方、身に付いていたやり方が表に出てきたんだろう。それから、「母」となったことで、より私の中の「母」のモデルである母に近づいてしまったんだろうと思う。

・父がいないとき、ルールを決めるのは母だった。兄が成長するに従って、兄がいるときは兄がルールになった。

私は、父が母に無理難題を言い出さないように父の世話を焼き(ただし家事は底なしになる予感があったのでしなかった)、兄の逆鱗に触れないように物音も立てないよう存在を消して生活し、母がリラックスできるように話し相手になって暮らしていた。

父がいれば父が怒鳴り、兄がいれば兄が怒鳴り、父と兄のいない時にだけ、平穏があった。私まで我侭を言い出して母を困らせることはできず、私はほとんど何も要求しない構成員になっていた。

→いまだに、私は聞き役になると落ち着く。夫と話し合っていても、たいがい途中で夫が自分の自慢話を始めるのだけど、私は特に異存もなく、ただ夫の話を聞いてしまう。私は自分のことを話すことよりも、人の話を聞いているだけの方が楽な人間になってしまったらしい。だからといって、聞き上手じゃない。ただ自分のことを話したいだけの人間に囲まれていただけで、途中で私が相づちを打とうが、私のことを話そうが、相手は意に介さず自分の話をまた続けていたから、会話のスキルなんて全然育たなかった。むしろ、人が話していると、ただただ聞いているだけで、話を向けられると困ってしまうようなところがある。


・・・ちょっと、「硬直性」というテーマからは外れてしまった気がするけど、あえてルールにしてみたら「上のものがいる間は個性を出してはならない」という感じ?私は家庭の中で底辺に存在していたようです。




「シェイム」

悪いことは自分のせいだと思ってしまうような、自己否定感。自分の力ではどうにもならない、という無力感も入るでしょうか。

私は、家庭では、とくに存在を否定されて育った、という意識はありません。ただ、優先順位がとても低かった、という意識はあります。

いじめにあっていたころ、毎日のように辛い目に合って学校から帰ります。家に帰ると、鍵が閉まっていて、仕事場に鍵をもらいに行きます。そこでは母が、子供相手に優しいまなざしで、語りかけながら相手をしています。私は、鍵だけを渡されると、仕事の邪魔だから、と一人で家に帰されました。そして、家に入って鍵をかけると、電気持つけずにソファでうつぶせになって、一人で泣いていました。この、ソファで泣いている私は、私の原風景、とも言えるイメージで、よく記憶の中に出てきます。

私は、はっきりと拒絶も否定もされていなかったけれど、家族に私を否定していたつもりがないことも知っているけれど、それでも私は、幼稚園でも学校でも家庭でも、無力感を感じて育ってきました。私がいくら家族間の関係を調整しようとしても、ほんの少し、父が思ったことが実現しなかっただけで、突然険悪になってしまう。

女というだけで、家業の主力を担う夢をあきらめさせられ、体力も気力もやる気も家業に向いていないように思われた兄が、意欲もないのに無理矢理跡継ぎにされる。

私は女の私を受け入れられなかった。親戚の家に遊びに行っても、子供のなかでは私だけが女で、いつも仲間はずれにされていた。親戚のおじさんおばさんには、ただ一人の女の子、というだけでかわいがられたけど、「女」というだけでかわいがられていることが不満でしょうがなかった。私だから、と思って欲しかった。

私は、自分が無力なのを、全部「女」という性のせいにして、女であることが許せなくなっていった。「女」は無力の象徴だった。母が父に従っているのも、兄に振り回されているのも、母が「女」だからだ。私は女としての生き方はしない、と、いつからか心に誓っていた。無力な「女」を捨てることで、私は自分の力を取り戻そうとした。

それは一見成功し、いじめの現場から脱出したとたんに私は「男」のように振る舞い、生き生きと学生生活を楽しめるようになった。乱暴な言葉遣いをし、部活動に精を出して力をつけ、夜遅くまで家に帰らず(部活動でだけど)、髪はどんどん短くなった。

大人になってもこの意識は変わらず、職場に入っても、女だからというだけで、作業着でなく制服を着なければならないとか、給料が低いとか、就業時間内にやたらと話しかけられたりとか、男性から手助けをされることにまで無性に腹が立ったりした。

やっと女の自分を意識しだしたのは、夫と付き合いだしてから、ひょっとすると子供ができてからかもしれない。「女」の自分に戻ったことで、無力であることまで受け入れてしまったのかもしれない。




今日は、なんだか、思考がテーマから外れまくってしまってうまくまとまりませんでした。まだ22ページです。いったいどれだけかかるでしょう。ちゃんと続くか心配です。(^^;


追記あります
posted by 蝉ころん at 15:26| Comment(2) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月15日

1章−1 否認・孤立

一回通して本を読んでみました。これから、本に従って、最初からやっていきたいと思います。



まず・・・「否認」

実際に起きたことを、感じた通りに認識することを妨げる防衛反応・・・ととらえました。「話さない」「感じない」「信頼しない」というやり過ごし方を身につけてきた、ということのようです。

まず、子供の頃の家庭環境を振り返ります。幼児期までのことはほとんど記憶がないので、学童期以降のことになります。思いつくままに書いたので、大学生のころのことまで混ざっています。

<家庭の中で抵抗なく話すことができたこと、できなかったことのリストをつくりましょう>

・抵抗なく話すことができたこと

 学校であった楽しかったこと。

 兄にいじめられたこと。小学校低学年までは全て兄のせいになり、私はあまり叱られなかった。私が泣かないようにすることが、兄の仕事だった。部屋を片付けていない、などの、共同責任のことは私も叱られた。

 テレビの話題。一番当たり障りがなかった。


・オープンに話すことができなかったこと

 学校でいじめられたこと。どうせ先生に言われて終わりだし、余計ひどくなるだけだったから。

 学校での忘れ物について。ただ言いたくなかっただけ?どうせ母に頼むつもりはなかったし、自己責任でやっていたから。ただ、母親に手伝ってもらっている同級生と比べられるのはいやだった。母が絡んでも事態が改善しないことを怖れていたかもしれない。母の名誉まで傷つけるから。

 父についてのこと。朝は子供が学校に行ってから起き、仕事が終わったらそのまま遊びに行ってしまう人だった。それでも、夜は「用事に行っている」ことになっていた。歯が悪いことを理由に、父だけグレードの違うおかずが出ていたりしたが、ただの好き嫌いだった。度々大声で怒鳴るが、それは耳が悪くて自分の声の大きさがわからないせいで、乱暴だからではないことになっていた。壁に一カ所、穴を隠すための絵がかざってあった。その穴は、幼少の頃に私か兄が(たぶん私だろうと思う)、買ったばかりのソファに油性ペンで落書きをし、それに怒った父が壁にソファを投げつけて開いた穴だと言うことだった。父の前では絶対に口にしてはいけないことだった。

 母が泣いていること。母は泣いていないことになっていた。誰が見ても泣いていたのに。

 兄のこと。兄は登校拒否児だった。父、母の行動が追いつめていると漠然と思っていたけど、私には発言権はなかった。

 家業のこと。食卓で、父、母、兄は、携わるものとして当然意見を出し合っていたが、外の立場から私が何かを言うと非難された。私は食卓にいながら会話に入れず一人で食事をしていた。そのくせ、みんな一人一人になると私に悩み話を聞かせた。

 私のこと。私の悩みも楽しみも、家族には関係のないことだった。無関心にされたり、私が期待しているより軽く受け取られることを怖れて、私は何事もないように振る舞っていた。




自分で書いて少し驚きました。私は家庭の中ではわりと好き勝手に振る舞っていたから、自由に話せてないなんてあまり思っていなかったけど、思い出してみたら私が家族と話していたことと言えば、ニュースの話題だとか、天気の話題だとか、あとはその時の相手の話したいことをただ聞いて、答えて欲しいと思っていることを答えているだけで、私自身が話したいことをほとんど話していませんでした。話したいことそのものを考えていなかったかもしれません。それが「否認」ということでしょうか。

私以外の家族が、感情を剥き出しにして罵り合うようにしてぶつかり合っていたのに対して、私は家族の生々しい感情を私に向けられた経験はほとんどありません。かわいがられたという感覚はありますが、私自身を見ていない、かわいがりたいという自己満足が見えていて、しかもそれを喜ばなくてはいけないような義務感をともなうものでした。

そして、私はみんなの話し相手になることで、相手がほかの家族に対して抱いている生々しい感情を第三者の立場から感じていました。私はいつも、部外者で、傍観者で、アドバイザーで、仲裁者でした。誰かがそばにいると、自然にその役割になってしまうので、自由に自分になれる、1人になれる場所が必要でした。そういえば、小学校低学年のうちは、いじめられて帰っても仕事で誰も慰めてくれる人のいない家が嫌いだったけど、そのうち、一人で好きなだけ泣ける、泣きつかれて眠っても放っておいてくれる、一人の空間が必要不可欠になっていました。



ここまで書いて、次を見たらちょうど「孤立」でした。

<他の家族に対して感じていた親しさや距離感を絵に書きましょう>

ということですが・・・。描いた絵を説明すると、四角いテーブルを囲んで、家族で夕食をとっている。父、母、兄の3人は険しい顔で仕事のことについて話し合っている。大声でけんか腰で。私は1人、うつろな目で母の後ろにあるテレビを、母が動くたびに見えたり隠れたりしているテレビを、見ている。

そんな絵になりました。物理的には近いのに、決して中に入れない距離感が、そこにはありました・・・。




今日はこのあたりで。
posted by 蝉ころん at 15:24| Comment(4) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月10日

「喪失」で思い出したこと

「子どもを生きればおとなになれるーインナーチャイルドの育て方」という本を読み始めました。

これから、この「自分育て」のカテゴリで、心の中を書いて行きたいと思います。些細なこと、と思って書かないでいたことも、どんどん出して行きたいです。



まず手始めに「喪失」の項を読んで、比較的最近のことで思い出したことを書きます。直接は関係ないことなんですけど・・・。

夫との関係に絶望を感じ始めた頃、近所のスーパーが閉店しました。

私はこのとき、悲しくて悲しくて仕方がなかったんです。店にいっては、閉店のお知らせの看板を見て涙をこらえながら買い物をしていました。

確かに毎日のように買い物に行っていたけれど、たかがスーパーです。馴染みの店員さんがいるわけでもありません。

それなのに、自分でも訳が分からないくらい、ただただ悲しかったんです。今も書いていて思い出して泣いてしまいました。

近所のスーパーが閉店しただけですよ?おかしいでしょう?この反応。しかもいまだに引きずっているって・・・(書いてみて初めて引きずっているのを知りました)。

やっぱり何か、一番原因となる喪失体験がどこかにあって、それを解消してやらない限りは、またこんなことが繰り返されるんだろうと思いました。夫とのことも、それだけで傷ついた部分ももちろんあるんだけど、それに刺激されて、封印できていたはずの感情がでてきて、それが影響し合って落ち込みがひどくなったりしているんだろうと。

これから、少しずつ書かれていることを実践してみたいと思います。
posted by 蝉ころん at 14:33| Comment(3) | 自分育て | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月09日

カウンセリング

カウンセリングに行ってきました。

今回は、心が重くもならず、軽くもならず、家を出たときの気分のままで帰ってきました。こんなことは通い出してから初めてです。これはどういうことなんでしょう?

前回のカウンセリング後にあったことを話し、それからの心の変化、発見したことを話して・・・そういえは、いつもなら話しているうちになにか気付くことがあったりして、自分の立ち位置を動かす発見があったのに、今回はそれがなかったです。

病気通院に例えたら、処置もなく、処方箋もなく、経過観察、という感じ?

カウンセラーさんの手を借りずとも、自分で課題に気付けるようになってきた、ということなのかもしれません。

それにしても、気分がどんよりしています。カウンセリングで少しはスッキリするかな?と期待していた部分もあったので、少し落胆しています。どちらにしろ、自分でなんとかしないといけない問題なんだから、カウンセリングに頼り過ぎてはいけませんね。

2週間前の夫の「子供はもらう」発言ではじまった緊張状態の影響が出ているのかもしれません。体中がアンテナを張っているような感覚で、確かにこれは体に負担がかかってるぞ・・・と思っていましたけど、それでこんなに落ち込むもんなんでしょうか。

もうすぐ心療内科に受診するので、このへんのことも話してみようかと思います。
posted by 蝉ころん at 13:33| Comment(0) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月08日

まだまだ悩む

ここのところ、少しマシになっていたネット依存と間食依存が復活しています。

昨日も、あちこちのブログにお邪魔してコメントさせてもらったりして。だからって自分のところで記事を立てれるほど書きたいこともなく・・・という状態。拠り所を求めている感じです。

こういうときは、やっぱり心に負担がかかっていて、私なりに辛いんだなあ(なんか人ごとっぽいなあ)と思うんです。何が辛いかと言うとそれはやっぱり夫との会話。会話しているうちに、夫の領域に引き込まれて行くあの感じ、そしてそれに抗いつつも、抵抗していないように見せなければいけないこと。

夫も欺き、自分も追いつめている、そんな罪悪感でしょうか。

やっぱり職がなくとも飛び出すべきなんじゃないのか。いや、それでは子供に対して無責任だ。でも夫も子供も騙している今の状態はやっぱり辛い。

こんなふうにずっと思い悩んでいます。結論は出していても、やっぱり苦しいのは、それが私の本当に望んでいる答とは違うからなんだろう、と思います。一日も早く離れたいという気持ち、少しでも有利に別れなければという計算、子供のために少しでも望みをつなげたいという気持ちだってまだ完全には捨てきれていない。

まだ時間は稼げているんだから、もう少し自分について悩んでみようと思っています。



今思っていることは、やっぱり私は姑が嫌いなんだな、ということ。正直、夫の第一位の人間になれないことからくる嫉妬もないとはいえないんだろうと思います。でも、とにかく人間として付き合いたくないんです。

かなりの2面性のある人で、他人はおろか身内にまで内面と外面を使い分けるわりに内面部分を平気で外に出していたりする方で、どこに本音があるのかが全く理解できないんですよね。かわいい息子の子供たちとの約束より自分が見下している人達とのおつきあいが優先だったり・・・

はっきりいって好きになれません。

夫と姑の境界線がマーブルのように混ざり合った関係である限り、私は夫を受け入れることはできないでしょう。すっかり姑色に染め上げられている夫はもともとの夫に戻ることはもうないでしょう。

私たちははなから無理な関係だったんだ。夫が心に姑を住まわせている限り、姑と結婚したいというくらいの気持ちでなければ結婚してはいけなかったんだ。一緒に子供を育てて行けるかも、なんて、甘いことを信じた私が馬鹿だったんだ・・・。

なんどもなんども、考えても考えても、無理だという結論に達すると、そこには姑の影があります。結局私は姑が嫌いで、姑に操られている夫が嫌いなんです。夫は私がいると親孝行できないと言います。逆なのに。姑に縛られているから、自分自身の家庭の問題に本気で取り組めないのに。

夫と姑の関係を考えるとき、いつも感じるのは「気持ち悪い」という感覚。私は彼らとマーブルの関係にはなりたくないんです。



書いたら少しすっきりしました。
posted by 蝉ころん at 15:49| Comment(0) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月06日

それなりに前向きに

夫との関係は、一応小康状態を保っています。

一触即発の気配は抜けないものの、お互いに、一応改善の道を探っている形で生活しています。

相変わらず夫といる時間は神経がピリピリしていますが、この2年間でした量よりも多い会話をこの2週間でしたくらいで、このペースでいくなら本当に関係改善できてしまうんじゃないかと錯覚しそうなほどです。

でも実際は、夫の得意分野から逸脱しないように私が気をつけているだけのことで、夫が姑を見ていることに変わりはないし、夫には自分が変わろうという意志は全くなく、私の方をこそ変えようとしているということも、なにも変わっていません。

それでも、このまま進めれば、私が仕事に就くくらいまではなんとか保たせることができそうだし、思いがけず、違った視線で私の過去を振り返ることができているので、利点もある、という判断をしています。



今、夫から課題として、「仕事がしたいって、いったい何がしたいんだ?」と言われて、そこを突き詰めるという作業をしています。

こちらにしてみれば、子供たちと生活するのにはお金がいるから、そのために仕事がしたいんであって、何かしたいことがあるから働きたいというのではないんですけど。でもそんなことを正直に言ったら、別れる気があるならもう別れよう、お前は生活できないんだから子供はもらう、となるのは目に見えているわけで・・・言えるわけないですよね。

それで、まあついでに自分の本心を覗いてみよう、と始めてみたら・・・何もないんですね。したいことが。ただやってみたいことならいくつでもあるんです。それこそなんでも経験したい。でも、それに一生を捧げるんだ!と思うようなことって一つもない。で、以前も書いた、「順番待ちをしているうちに大人になってしまった」感覚と似たものがあることに気付きました。

自分がしたいことを判断できるほどの経験がないんですね。親にはバイトもさせてもらえなかったし、とにかく自分でしたいことは独立してからでないと無理だ、と思って生きてきた。独立したと思ったら既に夫の手中にいてしまっていたわけで、思う通りに自由になにかを経験したことがないんだと、あらためて知りました。

今好きなことも、それしか自由にできなかったから好きなのかもしれない。今苦手なことも、やってみたら大好きになれるのかもしれない。何でもやりたい。でも自分に向いているのかどうかの判断もつかない・・・などということを、考えています。



・・・こういうことを、夫と話しているわけです。そこにあるのは、夫の主導で、私を仕事のできる人間にしてやろうという構図。あきらかな上下関係です。

我ながら、バカなことをしてるな〜と思います。夫に弱みをさらけ出しているようなものだし、こんなふうに関係改善の努力をしているように見せながら脱出の準備をしている自分にますます罪悪感を持ってしまいそうなのに。

だから、ここにしっかりと書いておかないと、と思うんです。本来の目的を忘れないように。

今は時間を稼いでいるだけ。とにかく少しでも条件のいい職に就いて、準備が整うまで。夫が姑を喜ばせるための道具に成り下がる気はありません。
posted by 蝉ころん at 15:03| Comment(5) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月03日

わき上がる罪悪感

私は夫を裏切ろうとしている。

いつか突然、家を出る。夫の愛する子供たちを連れて。

子供はもらうと脅されて、私にとってはやむを得ない行動なんだと理解してはいるけれど、やはり感情はあとから沸いてきた。

私はどうも、現実への認識にとても時間がかかるようだ。話し合いで衝撃を受けると、わけが分からなくなって感情的になってしまうのに、3日くらい経つと、その時の相手の気持ち、状況などがじんわりと理解できてきて、相手の身になって辛くなってくる。ここが私の弱いところだ。「相手も辛かったんだし」と思ってしまう。相手は私についてそんなこと微塵も考えていないのに。むしろ、「あいつはこんなに悪いのに」なんて思われているのを知っている。私はそんなお人好しだったのか?

せめて、その場で理解できたらまだ利用のしようもあるのに。



少しずつ準備を進めている。心の中では、「ごめんね」「ごめんね」と思いながら。夫に対して、子供に対して。

前々回の話し合いで、私が「鬱なんじゃないか」という話になったときの夫の顔が目に浮かぶ。謎が解けたような、心底ほっとしたような、一遍に警戒心がとけたような顔だった。私を抱きすくめて泣き止ませようとしたのは、自分が抱きしめられたかったからだったんじゃないのか。夫も苦しんでいたんじゃないのか。

夫も私を怖いと言っていた。私に批判されるのが怖くて何もできなかったと。私も同じだった。私も子供に心を開くまでは、夫と同じような人生観をもって生きてきた。本当に良く似た二人。私は夫に自分を重ねているんだろう。だから夫を捨てることにこんなにも罪悪感を感じるんだろう。私を捨てるようなものだから。

でも、私に似ているという人のためだけに私を捨てることはできない。子供たちを捨てることはできない。たとえそれが夫の自己防衛の盾だとしても、子供を奪うと言っている人に心は許せない。包丁の先をこちらに向けている人に抱きついてはいけないのだ。



もう決心は揺らがない。

でも、「ごめんね」と思うことくらいは自分に許してやろうと思う。私は彼を嫌いにはなれないんだから。
posted by 蝉ころん at 08:56| Comment(2) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月01日

戦闘態勢

すっかり夫のことは「敵」認定しました。

正確には、夫の中に住んでいる「姑」が敵のような感覚はありますが、混ざり合って一体化しているあの状態では、夫=姑と思って間違いない。夫の血族との戦いだと思っています。

彼らは、本当に自分たちの血族以外を認めません。

一度、姑に彼の幼い頃の写真を見せてもらったことがありました。

その写真は、あきらかに父親が写っていたと思われる部分が全て切り取られ、夫の頭の一部を切ってまで、父親の片鱗さえも残らないようにされていました。

相手の非が大きくて恨みが消せないような離婚の場合、そういうことをしてしまう心理が理解できないわけではありません。でも、それを嫁に見せるのはどうか?

そして、姑は、なにかの機会に思い出しては、夫の父親の悪口を言うのです。口汚く、汚らわしいと言った顔つきで。夫や夫の兄弟も同席している場所でもおかまいなし。それはまだいいかもしれない。姑が離婚したのは夫たち兄弟がかなり大きくなってからで、事情も飲み込めていただろうから、共通の話題なのかもしれない。

でも、私の子供がいる場所でも平気でするのです。

そして、夫の兄弟にも離婚している人がいるのですが、この人は、まだ小学校入学したての自分の子供の前で、元配偶者のことを罵倒します。その上「お前のそういうところ、○○(元配偶者)にそっくりだよ!」などと子供に言ったりします。

こんな人達の住処に、子供たちを置きざりにできるでしょうか?



私は任せられない。こんな感覚に子供たちを染めたくない。

私は、姑のいいところも、夫の兄弟のいいところもたくさん知っています。甥や姪のことも大好きです。子供たちのこともずっとかわいがってくれました。だから、子供たちには、自分たちをかわいがってくれたおばあちゃん、おじちゃん、おばちゃん、いとこたちのイメージをずっと持ち続けて欲しいし、お母さんお父さんが敵対している姿なんか知らせたいとも思いません。

でも姑は違う。夫も違う。子供たちからお母さんの思い出を消し去ることさえ容赦ないでしょう。夫はそうして育てられて、情の全てを姑と兄弟達、つまり、姑の認めた人間のみに向ける人間になったのです。

私は子供たちをそんな人間にしたくない。



きっと裁判までいくと思います。姑が気に入っている孫達を、夫が簡単に諦めるはずがありません。でも私は負けない。弁護士に頼んでも、子供たちだけは、渡しません。
posted by 蝉ころん at 15:03| Comment(4) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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