2006年10月30日

決断

この週末の話し合いで、心が決まりました。私は離婚を目指します。

書くべきかどうか迷いましたが、決心が鈍らないように書いておきます。でも危険なことに変わりはないので、少し経ったら非表示にするつもりです。

いずれ、ここのブログも閉鎖することになるかもしれません。その時は突然になるかもしれませんが、ご了承下さい。



夫は、以前の話し合いで私が見せた本を、私からの絶縁宣言と受け取っていました。「心の暴力 夫婦という密室で」という本では、確かに被害者に逃げることを勧めています。私も軽率だったかもしれません。でも、私は、「私の苦しんでいる状況はこんな状況」だということを理解して欲しい、だから読んで欲しいと言ったはず。それを、本が別れることを勧めているから、別れたいんだろうと理解したようでした。

そして、俺が変わらなければ暮らせないというならもう無理なんじゃないのか?俺は変わらないぞと。

さらに、俺はお前より母親をとる。それでダメなら無理なんじゃないか?とも。

決断はこちら任せでした。その冷静な話し振りに、私もそれでは無理だと言ってしまいました。

話はこれで決まりかと思って、私が生活力をつけるまではここにいたいと言おうとすると、「金はやる」と。そして「子供はもらう」と。夫はいとも簡単にそう言いました。まるで子供がものであるかのように。金で子供を買うと言うのか?

冷静さを失って、「そんなわけにいくか!」と怒鳴ってしまいました。

罵り合いになりそうになり、このままではまずい、と思って、とにかく私は一旦退き、関係改善への努力をまずしようじゃないか、という話に持っていきました。カウンセリングを受けると言う約束をまず果たしてもらわないと納得がいかないと。

なんとか場を冷静に戻し、カウンセリングを受ける引き換えに夫の要求も受け、なんとか収めましたが・・・。

とにかく、夫が私を「子供を産む機械」くらいにしか思っていなかったことが改めてわかりました。夫の大切な子供達、その子供達が大切に思っている母親だと言うことさえ、夫の頭にはない。私と夫の目指す道が違うものならば、別れればいいと。いともあっさりと言ってのけました。

私がこの何年かずっと悩み続けていた、「子供から大切な父親を奪っていいのか?」という問いは、夫にとってはたった3週間で答えの出せるものでした。もしかすると一瞬さえ頭に上ってないのかもしれません。

子供の気持ちはどうなるの?自分の子供の気持ちでさえ、夫は想像することができないの・・・?



私の心は決まりました。ずっとつかず離れず子供の面倒を見ている、その母親を子供から奪うことに対して躊躇も見せない人間に、子供を任せるわけにはいかないと。

そして、夫の条件は私が夫のやり方に従うこと。それでなければ金を払って子供も奪って追い出すということ。これは脅迫ではないでしょうか。

子供を連れて脱出するしかない。もうそれしか道はない。そう決意しました。

そのために私は夫に従います。逃げるために。なんとしてでも逃げてやる。そう決意しました。子供は絶対に渡さない。



そして、今日はやっと保健所のDV相談に行ってきました。男の相談員さんの前でぼろぼろ泣きながら現状を伝えるのは恥ずかしくもあり、理解してくれるかどうかの不安もありましたが、まずは第一歩だ、と、話をしました。それから、受けられる助成制度や、相談先などについて教えてもらってきました。

次は法律相談に予約を入れて行ってきたいと思います。

話し合いの日から、睡眠時間が減っています。夜中に目が覚めて寝付けません。体中がピリピリしています。

でも今は、せっかくスイッチが入ったこの勢いを逃したくない。とにかく突き進もうと思います。
posted by 蝉ころん at 15:09| Comment(12) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月28日

インナーチャイルド

夏草さんのブログでも取り上げられているインナーチャイルド。私の感じているインナーチャイルドについて書いてみたいと思います。



私がカウンセリングを通して親との関係を振り返り出した春頃、自分の中のインナーチャイルドを探してみようとした時期がありました。

このとき、呼びかけても探しても、どこにも見当たりませんでした。むしろ、私自身が、まるまる子供であるように感じていました。

私自身がまるまる子供なら、どうして子供の私を癒したらいいんだろう?と思った私は、考えた末、私の外側に「親」を想像し、共感してもらうという作業をしてみました。夜、布団で丸まって、自分を抱きしめながら、私自身に対して呼びかける「声」を想像しました。

これだけでも、かなり慰めになりました。ゆっくりと涙を流して、包まれながら眠ることができました。


そのうち、私の中に「大人」を見つけました。

どうやら、本来の「子供の私」を守る盾となれるはずの「大人の私」は、私の中に隠されてしまっていたようでした。「大人の私」が、夫に対抗して傷つき、使いもにならなくなる前に、「子供の私」が、宝物を守るように中に引っ込めてしまったかのようでした。

「大人の私」は、「子供の私」に守られていました。それほどに「大人の私」は弱いもののようでした。

今、「大人の私」を取り戻してみると、その弱さを実感しています。自分の弱さを知らないまま夫に立ち向かってボロボロになっても戦っていた以前の私。弱いことを自覚しないために、もう盾にもなれずに「子供の私」さえ傷だらけになっていたのに、それでも戦いをやめることができませんでした。

「子供の私」が前に出たことで、かろうじて、自分の弱さに気付くことができました。そして、完全に失う前に、「大人の私」を取り戻すこともできました。



そして先日、私の中にインナーチャイルドらしい姿を見つけることができたのです。その子供は、大きく手足を振り回しながら、「私だって、私だって!」と叫んでいました。


私はずっと、「順番待ち」をしている。そんな感覚があります。

家庭でも、幼稚園でも、学校でも、社会に出てからも。ずっと、いい子にして、並んで待ってる。待てない子には、先を譲ってあげる。順番抜かしされても文句も言わない。だから、私にも順番をまわして。ずっとずっと待ってるから、私にも順番をまわして。

順番を抜かされても、「この子が先よ」と言ってくれる第三者はいませんでした。「順番抜かしするな」と冤罪を着せられても、「この子はずっと並んでいたよ」と証明してくれる声はありませんでした。それでも、辛抱強く待っていました。

そして、ずっと順番を待っているうちに、私の番にならないうちに、時間切れになってしまう。時間切れ、時間切れ、時間切れ。時間切れの連続のうちに、いつの間にか私は大人になっていました。

「もう大きいんだから」「もう帰る時間」「もう寝る時間」「「早くしないから終わっちゃった」「もうおしまい」

そんな言葉ばかりを聞いて育ってきた気がします。

そして、そんな言葉ばかりを子供にぶつけている気もします。



ここに何度も書いている「焦らないで」という言葉。私はずっと焦って焦って育ってきました。早くしないとまた順番が回ってこない。早くしてくれないとまた時間が終わってしまう。

私を縛っているのは「時間」なんでしょうか。

ものすごい焦りと突然のあきらめが私の中にはあります。のんびりゆっくり、というのが本来の自分であるような気はしてきています。でも、時間制限を意識したとたん、焦りの渦が私を巻き込むのです。そして、間に合わない、となったときのあきらめの早さ。これは、潔さとは違う、と思ってはいました。

焦らなくていい。誰にももう順番は抜かさせない。だから、暴れないでも、いいんだよ。落ち着いて、何がしたいのか、考えてみようか。こんな声が、私の本当に欲しかった声なんでしょうか。



「大人の私」を守る「子供の私」が、私の母を、父から守ろうと頑張っていた頃の自分と重なります。

私は母になりたい。

「子供の私」も、私の子供たちも、見守ってやれる、手助けしてやれる、後押ししてやれる、私が欲しかった母になりたいです。
posted by 蝉ころん at 15:45| Comment(4) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

間があきました

2週間ぶりになってしまいました。

途中、書きたいことも沢山浮かんだんですが、子供が体調を崩したりして時間がうまく取れなかったりしているうちに、タイミングを逃してしまったような感じです。またぼちぼち書いていきたいと思います。

といいつつ、使える時間でスキンを新しくしてみました。まだいまいちしっくりきていない部分もあるのでまたいじるかもしれません。

こういう作業は構えずに出来るのでたのしいです。楽しいからとはまりこんでしまって、記事を書く方に使う時間がなくなるのが困りものですが。おかげでちょっと安定していた精神状態がまた不安定になってきたような・・・これでは本末転倒ですね。(--;



楽しいことを楽しむのと、落ち着いて自分を見つめることと、書いて整理すること、日常生活、いろいろと平行してこなしていくことがまだまだむずかしい状態です。

相変わらず夫と時間を過ごさなければいけない時には動悸が激しくなったり、冷静な気持ちが吹き飛んだり、帰宅拒否もあり。まだまだ以前の自分を取り戻したとは言い切れないなあと思います。

それから、夫婦の問題と関係なしに、子供との問題、というか私の子供への感情に問題があることもはっきり自覚できるようになってきたので、このあたりも綴っていかなければいけないと思っています。


ちょっと表面は変わったもののあまり進歩のないこのブロク、またこれからもよろしくお願いします。m(__)m
posted by 蝉ころん at 00:44| Comment(2) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月15日

<週刊ポスト発売について>

モラルハラスメント被害者同盟の管理人さまよりのメールで掲載依頼を頂きました。

私のところへ来られるような方はたぶん他の方のブログで目にされているかと思うんですが、せっかくですので掲載させていただきます。(^^;

「モラルハラスメント」のメディア出現率が上がってきてますね。

ただ個人的には、男性よりな雑誌のようなので「モラハラらしき行為をしている人間は、正体がバレないようにうまくやれ」的な記事にならなければいいな〜なんて思ってしまうのですが・・・どうなんでしょう。

以下、メールより転載です。



突然のメールで失礼します。「モラル・ハラスメント被害者同盟」管理人です。
みなさまには日頃お世話になっております。

さて、サイトトップにありますように、10月16日(月)発売の週刊ポストに
モラハラ被害者のみなさんの生の声から構成された「熟年離婚/モラハラ」が
発売されます。

記事はモラハラ被害者同盟掲示板が、そのまま載ったような作りに
なっておりますので、ほとんどの方は納得して下さるのではと思っています。

この記事は、モラまで行かない、けれど自分の立場を勘違いしている男性たちに
自分が普段しているのはもしかしたらモラハラなのではと気づかせ、自分を
省みられるようにとの願いで作られました。

ブログ等をお持ちの方は、ぜひ記事にこの情報をのせてください。
記事を書かれた波流さんの言葉はよく読むととっても奥が深く、「もうひとつの
意味」を感じさせてくれます。

週刊ポストは男性誌ですが、正面切ってモラハラを取り上げて下さる、
その英断に感謝したいと思います。

それではよろしくお願い致します。
posted by 蝉ころん at 16:55| Comment(6) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

夫と過ごした意味って・・・?

私が夫と付き合い始めたきっかけは、サークル活動だったと以前書きました。

そこで、まるでお見合いのように付き合いが始まり、サークルの状態からそう簡単に別れることができなかったとも書きました。

書いていながら、なんとなく、付き合いの理由を他人に押し付けているような、自分で別れなかった言い訳を外にぶつけているような違和感がありました。これは真実でもあるけれど、これだけではない・・・。だいたいこの当時の私は男1人ふれないほどやわな精神状態じゃなかった。やっぱり私自身に、夫と付き合うことでメリットがあったから、付き合いを続けていたんではないかという思いが消えませんでした。

この答をやっと見つけました。

私が夫との関係で得ていたもの。それは、私自身が子供にかえれるというものでした。

何回もここで書かせてもらっている通り、夫は子供の精神のまま育った人のように思います。私が夫に惹かれていたのは、まさにこの「子供」の部分でした。

私は、子供時代にとても未練がありました。ずっと子供らしくすることに憧れていたけれど、他の子に先を譲って、順番待ちをしているうちに、私の番が回ってくる前に時間切れで大人になってしまったような感覚を持っています。

私は、子供時代をやりなおせる場所をずっと求めていました。そして、夫はそれを持っていた。

だから、夫に惹かれたんです。

夫と一緒にいると、子供のようにはしゃぐことができた。子供のように大人の世界を批判することができた。子供になって、子供の遊びを本気で遊ぶことができた。たとえ、夫の好きなことだけしか出来なくても、ただ子供の世界を味わえる、それだけで私には充分だったんです。

ただ、これは私にとっては、あくまでも「大人が、子供の世界を楽しむ」という、お互いに了承した遊びの世界のつもりでした。私自身は、自分が大人であることを理解していたし、大人としての線引きはしっかりしていたつもりでした。

ときどき感じた違和感は、夫は本気で子供だったこと、私だけが大人だったことに由来すると思います。

私はよく、夫が迷いなく私に我侭をするのに、私は夫に気を使いつつお願いごとをしていることに不公平を感じていました。「いいなあ、気兼ねなく好き勝手出来るって」と、一種羨ましくもありました。

そしてこの関係は、結婚し、子供を産むにつれて、さらに変わっていきました。

夫は、私に「母であること」を無意識に押し付けていました。家事は当然「母」がするものでした。分担すると言っても、約束で取り決めた分以上はほぼしなかったし、するとしても、本来「母」がするものを「子供」であるはずの俺がなぜしなければいけないんだというような態度でした。

子供が出来ても、夫はどうみても長男にしかみえず、子供に対して「責任」というものをほとんど意識せずに過ごしているようでした。「母」は私がいるから、それでよかったんでしょう。

私だけが、どうしても大人にならなくてはいけなくなったのです。

私が夫に求めていた「子供にかえれる時間」は、なくなりました。

そして、子供の私がどんどん行き場を失って、暴れ出した・・・そんなふうに思いました。

夫との関係がどんどんおかしくなっていく中で、どんどん子供の頃の記憶がよみがえりました。私の心は子供時代に逆行していました。子供の頃に感じていたものとよく似たものを感じているからではないか、とカウンセラーさんはおっしゃっていましたが、ピンときていませんでした。

私は、子供の私を満足させられないまま、大人にならなければいけないことに納得できなかったんです。そのことをやっと理解できました。



付き合っていた頃、確かに私のニーズは満たされていたんです。私が夫を必要としていた時期が、実際にあった。だから、私が夫を選んだのはそのときの必然でした。だから私は、自分を責めなくてもいい。自分のために必要な道だったんだから。

ただ誤算は、夫が、わかって子供の振る舞いをしている大人だったのではなく、自分は大人になったと思いこんでいる子供だった、ということ。それだけのこと。

そして今、私は、子供にかえることをあまり必要としなくなっていることにも気が付きました。

夫と暮らして、それなりに子供の世界も味わいました。自分たちの子供とも暮らして、大人の目線も手に入れました。

そして、このブログやカウンセリングで、受け止めてもらっていることが、私の心を安定させているんじゃないかと思うんです。本当に私に必要だったのは、子供が親にしてもらうように、話を聞いてもらうことだったんじゃないか、気持ちを受け止めてもらうことだったんじゃないかって。

遊びたいという気持ちも受け止めてもらってなかった子供時代を振り返って、なぜこんなことをしているのかと思ったこともありました。でも、やっぱり必要だったことでした。

私は子供時代にとても未練があって、もう一度やり直してみたいと思うこともあるけれど、そう思うことこそが、私がもう子供じゃないことの証なんじゃないでしょうか?やっと私も子供時代を卒業できるのかもしれない。そう感じます。



あらためて、ずっとこのブログを読んでくださっている方々にお礼がいいたいです。本当に、ありがとう。
posted by 蝉ころん at 16:47| Comment(7) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月13日

親になってた?

昨日はカウンセリングでした。

今までで一番、言いたいこと言って帰ってきました。カウンセラーさんの言葉をさえぎってまで喋っている自分に、これってなんか「私」じゃない・・・元気すぎる・・・という変な違和感がありましたけど、いっぱい喋って、すっきりしました。自然に笑ってカウンセリングルームを出られたのは初めてかも。

そのあと、道を歩いている時にも、意識していないのに背筋が伸びていたりして、ちょっと出来過ぎな感じでした。(^^;

またそのうち落ち込む日もくるんだろうなあ〜。でも、今はせっかく元気な自分を楽しんでもいいかな、って思います。少し前はこんなことにさえも罪悪感を持っちゃってましたけど。




それで、昨日のカウンセリングの後で考えたこと。

やっぱり夫は私に「母」を求めているんだろうなあ・・・ということ。そして、会社では「父」を求めている。

夫はまったく私との間の境界線を意識していません。私はときに夫の保護者になり、ときに子供になり、ときには恋人になることも、あります。でも、その都合のいい役割って、幼児期の子供が母にわがままを言うさまと同じなんです。

私が髪を切ると不機嫌になるのも、知り合いのそばでは私の近くによってこないことも、知らない環境では逆に私から離れないことも、自分の思い通りに家の中が動いていないのが気に入らないのも、全部私を母だと思っているから。

もちろん、夫自身は意識していないし、指摘しても理解はしないだろうけど。でもやっぱりそういうこと。

でもこの要求は大人同士と思うととても変なことだから、大人として夫を扱ってきた私は、ずっと突き放してきたんですよね。でも、子供が母に対してしている要求だと思えば、突き放されて、それは傷ついただろうなと思います。

だから、夫も私が母じゃないということを知らずに私を傷つけたけど、私も、夫が大人だと信じ込んで夫を傷つけていたのも事実だったんだなあと思います。

ただ、これは仕方ないこと。だって、大人の相手を見て、子供のつもりで付き合うことは出来ませんから。子供だとわかっていたら結婚なんかしません。意図しない結婚詐欺のようなものだと思います。相手が騙しているつもりがないから騙されたと言ってもわからない。

でもこれは、夫側の問題です。いつか、夫自身が自分で気付いたら、きっとその時は夫は成長するでしょう。もともと素直なところのある人(子供なだけに(^^;)だし、きっと劇的な変化をしそうな気がします。

もしその時にまだ私が側にいたら・・・?と想像を膨らませてみました。きっと、母である私はいらなくなるんだろうな。夫は親離れして去っていくかもしれないな。

そのとき、私は?

寂しい?悔しい?取り残されたような気持ち?

なんとなく、そのときこそ夫を晴れがましく送り出すような気がしました。もうこれで悔いなくさよならできるって。さばさばと、元気でやれよ、って・・・。

ん?

それって、子が立派に育って満足している母のような・・・。

私はすっかり夫の母の立場に収まってしまってたんでしょうか。夫を突き放してみたりしていたのも、夫を成長させようとしてやっていたんでしょうか。なんだかそんな気がしてきました。

母として、便利な身内として扱われていることに憤慨しながら、実はなかなか巣立とうとしない、自立しない夫に、親としての視点でイライラしていた?

なんとなく、これ、今すごく納得がいくんです。皆さんどう思われます?(^^;
posted by 蝉ころん at 12:50| Comment(6) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月10日

元通り

案の定と言うか、私の鬱を気遣っていたはずの夫は5日ほどで姿を消し、この週末は全く夫からコミュニケーションをとろうとはしませんでした。

たぶん、夫にしてみれば、朝に夜に接触を試みていたのに、それを負担に感じて余計に落ち込んでいた私の方が悪いんでしょう。私がやっとその状態に慣れてきて、それならそうとして暮らしてみようか、という心づもりができてきたときには夫はまた自分の殻に逃げ込んでしまいました。

はっきりと、先週末の、おかしい妻を気遣う夫とは別人になっていました。

う〜ん、やっぱりね。

夫自身から会話を切り出してきたことにかなりの期待をもって、手の内をさらけ出してしまった(カウンセリングに行っていることを話したり、「夫婦という密室で」の本を見せたり、夫婦カウンセリングに行こうと誘ったり)ので、後悔もあります。

でも、なんだかスッキリしました。これを毎回繰り返したから、だから夫に絶望したんだったということが、やっと理解できました。この2年近く、無言生活を続けながら、なぜここまで徹底的にコミュニケーションを避けなければいけないのか、自分でもわからなくなっていたんです。特に、以前は何がどう違和感につながっているのか、はっきりと意識していなかったせいもあって、いつまでも私が悪いような気持ちが離れなかった。

ああ、こうだった。そうだった。いつもいつも、改善を約束しては数週間か数日で元通り。ひどい時には数時間、数分。だから私は夫との関係を諦めざるを得なかった。なににも期待は出来ない人だった。約束も要求も、時間が経てばただの言葉に変わってしまう。だから私は、夫婦として暮らしていながらも私一人で生きていかなければと心を閉ざしたんだった。



とにかくここまで、これだけ理解できた、という感じです。

夫との関係に悩んで、私自身の子供の頃からを振り返って、夫との生活、子供との生活を考えて、そして今、現在に追いついた気がします。

これでやっと、これからどうするか、ということを考える段階に来たんだと思います。

私自身の今の状態も、なんとかしないといけません。ちっとも落ち着いてない。いいときと悪いときの差が激しいんです。だからまず、病院に行こうと思います。予約は混んでいて、1ヶ月後になってしまいましたけど、とにかく予約が入れられただけでも私にとっては進歩かな、と。

とにかくまずは自分。夫が外野でなにやらしていても、とにかく自分がしっかり立つことから始めます。
posted by 蝉ころん at 15:29| Comment(6) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月06日

私は普段、薬を飲まない。

風邪をひいても、頭が痛くても、お腹が痛くても。

初めて解熱剤を飲んだとき、全身が、何かに包み込まれているように感じて怖かった。

一人目の出産のとき、長引いたあげくに陣痛促進剤を点滴してもらい、あまりの反応の早さが怖かった。

私は薬が怖い。

私の体の自然な反応を奪って薬の効果に蹂躙されるのが怖い。

自分の体が自分自身のコントロールから外れていく感覚が怖い。

まして、心の薬だったらどうだろう?

自分の心が薬にコントロールされてしまうなんて。

それくらいなら狂った方がマシだとさえ思う。

私はこんなにも外からのコントロールを怖れていたのか。

そんなにも自分自身でいることに自信がなかったのか。

それでももう、意地を張るのはやめなければ。

狂った私には子供を託せない。

私自身が私をコントロールできる状態になるまで、一度薬に制御権をあずけてみよう。

薬をコントロールするのは私なんだから。
posted by 蝉ころん at 08:57| Comment(4) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月05日

夫のことばかり

夫のことばかり考えていることを夏草さんに指摘してもらって、またそんな自分について考えた。

私は自分が苦しんでいる状況が理解できなくて、その答をずっと探している。その原因のかなりの割合を占めているのが夫で、でも夫から受けている扱いは、一つ一つを見るとそれほど大きいものでもなくて。それで、ついつい深みにはまって考え込んでいるような気がした。

この週末の話し合いでも、夫は本当にやさしかった。ほだされそうになったほどだ。

それでも、言葉の端々に、ヒントはあった。

一つ私から話をした。

「あなたは私が髪を切ると不機嫌になるでしょう」

なんでこんな話を持ちだしたんだろう?ここに問題の本質が隠れていたからだ。
続く会話はこうだった。

夫「だって男の子みたいなんだもん」
私「でも付き合いはじめからショートだったのに、なんで切ったらいけないの」
夫「それとこれとは問題が違うんだよ。男ってそんなもんなんだよ」

夫の口調はやさしかった。でも、そこにあったのは、「こういう俺を理解しろ」のメッセージだった。「男って」と一般化して、単に夫がショートが嫌いなだけのことを、受け入れなければいけないことのように言いくるめている。

私には自分の好きな髪型にする権利はないのか?自分の趣味で髪型を決めたら不機嫌な人と暮らさなければいけないのか?

夫は私個人を見ていない。私の中の、「女である」ということだけしか見ていない。私の中の、「私」の部分を捨てて、「夫の好きな女」の衣装をまとうことを望んでいる。

やさしくであれ、きつくであれ、夫のメッセージはそういうことだ。そして、私が苦しんでいるのはそのことだ。私が私でいていけないというメッセージは受け取れない。

「夫のロボットにされてたまるか。」

これが今見つけられた私の答。



あれから夫は、毎朝私が起きている時間に起きてくるようになった。夜も早めに帰ってきて必ず顔を合わせるようになった。

それがどれだけ私の負担になるか。夫は謝ったから修復したものだと思っている。夫婦関係をこじらせないように会話をしようとも言う。そんなことがいきなり出来るわけがない。昨日まで近くに寄られると恐怖で動悸がしていたような人間を相手に、今日は心を開けというのは無理だ。

今週末は、私から宣言しなければならないと思っている。時間がかかることを。距離を置いてゆっくり回復したいんだということを。
posted by 蝉ころん at 12:33| Comment(6) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月03日

癒し

実は私、頼まれ仕事でイラストを描いています。

最新の仕事で、わりと気に入ったものが描けました。

自分で描いといてなんですが、ときどき、この絵を眺めて癒されています。自給自足って感じでしょうか。絵そのものの癒しと、私にはできることもある、という慰めを得ています。

バレちゃうと嫌なのでここでは明かせませんが、この絵が描けててよかったなぁ〜と思います。



今日はこれだけ・・・しょうもない記事ですみません。
posted by 蝉ころん at 14:38| Comment(2) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年10月02日

週末の話し合い

週末、夫の方から動きがありました。うまく書ける自信がないけど、書いてみます。



結論からいうと、やっぱり、夫は私のうつ病を疑っていたようだった。それは夫なりに私の状態を心配してのことで、夫自身も自分の性格について悩んでいたこともあって、カウンセリングに一緒に行くことを約束してくれた。

今までの私なら、ここで肩の荷を降ろして前向きになろう、と思っていたことだろう。夫は私のことを考えてくれていた、と感謝さえしていただろう。今でもその気持ちがないわけではない。でも、今の私はそこまで楽観的になれないものを抱えている。

今までも、夫とは話し合いをするたびにこんな前向きな気持ちになったことが度々ある。それでもいつも結果は同じだったじゃないか。

そして、この週末の話し合いでも、夫はうつ病のことを口にする前は、とても攻撃的な目で私をみていたんではなかったか。

私は夫のことを怖いと感じていると正直に言った。支配しようとしているように感じる、と言った。正確には違う。夫といると、自分から自分をなくしていってしまうことが怖いんだ。もしかすると私は人間全てが怖いのかもしれない。

とにかく私は夫が原因で私が追いつめられたということを夫に告げた。夫はごめんといい、夫自身の性格の問題点についても話をし、カウンセリングの話もすることができた。私は問題が解決に向かうんではないかという希望を感じた。

でもなにかに違和感も感じていた。このときはよくわからないまま、なぜかまた夫の仕事の話を聞いていた。夜中の話し合いは4時を過ぎて、この日はお開きにして、いつものように別々の部屋に戻って休んだ。

次の日、私がまだ目が覚める前に夫は起きてきて、子供たちとテレビを見ていた。そして、朝ご飯は外で食べることに決まったらしい。

心がざわざわとした。また夫は私に相談もせずに、私の状態を勝手に理解したつもりになって私の行動を決めている。子供を誘って、私が一緒に行かなければならない状況を作っている。前の日の話し合いで一応和解した形になっているから、私はこれを断ることができない。「私が」断れない。夫には、私が本当は嫌だけど断れないという心理状態になってしまっていることはわからない。

こういうことの積み重ねが私を鬱に追い込んだんだということが、今はわかる。

夫自身は本当に私のことを心配しているんだと思う。それで元気を出させようと、朝ご飯も作らなくていいよ、と、食事に誘った。その車中から私は泣いていた。店の中ではなんとか自分を保ったけど、また帰りにも泣いてしまった。下の子を寝かしつけつつも泣いていた。

私は今、家族の中にいること、そのことそのものがとても辛い。本来私が立つはずの台所で夫が子供におやつを作り、夫が洗濯機をまわす。子供が大喜びで夫の手伝いをする。そのことがとても辛い。

この日の夫は本当に親切からしている。少し前までのようなイヤミでやっているところはまったくない。それがまた辛い。いっそイヤミでしてくれていた方がいい。そのほうが私が私でいられる。



夫は、私が「鬱だから」何も出来ないんだと思っている。私は、そうじゃないと思っている。私は本当は何も出来ないのに、無理をして出来る自分を装ってきて、それが出来なくなったから鬱になったんだと思う。もし私が回復するなら、この「出来ない私」を私自身が受け入れる必要があると思っている。

でも、夫はそうは思っていない。鬱が治って、また元気な私になれば、また出来る私に戻ると思っている。夫が実践して見せている、理想的な家事をまた私ができるようになる、と思っている。夫は、私が「鬱」だということがわかって、それで問題が解決した気になっている。病気なんだから、と。医者に行って、薬を飲んで、養生していれば治ると。元に戻ると。そして自分で勝手に私の手を引いていくことに決めてしまっている。私が一人で歩けないんだから、と。

私は自分で歩いてるよ。ゆっくりだけど、足手まといに思うんだろうけど、これでも自分で歩いてんだるよ。

話し合った時も、「上を目指せ」という言葉が出た。今はここかもしれない、ここでいいじゃないか、そこからどんどん上を目指せばいいんだ、と。常々自分でも思っていることであっても、夫の口から聞くと重荷でしかない。夫が私を励ますつもりで言っていることもわかっている。それでも、その「上」はどこ?と思ってしまう。その目標は、私が決めることでしょう?馬の鼻先に人参をぶら下げるように、あなたが設定するものじゃないでしょう?

あくまで夫は、私の保護者として、私の進む道筋を決めようとしている。私が選んで進んでいる道筋を認めようとはしてくれない。

私はこれでもあがいてるんだよ。私なりに悩んで自分で解決策を探して選びとってやってきたんだよ。

私に解決策を提示しないで欲しい。私に自分で選ばせて欲しい。本当に私を心配してくれているなら、私の居場所をこれ以上奪わないで欲しい。

夫が私の保護者でいようとする限り、やさしさに傷つけられて、さらにそのことに罪悪感を持つ、悪循環は終わらないんだと知った。



夫はこのことを理解してくれるだろうか。私が人生に介入されていると感じていることに、気付いてくれるだろうか。それがない限り、どれだけ会話が復活しようと、夫との生活に望みがないことに、変わりはない。
posted by 蝉ころん at 10:19| Comment(5) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

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