2006年09月29日

利用される子供

私は元来、それほど世話焼きな性格ではありません。

困った人を助けたいという欲求はありますが、相手が自分で立てるようになったらよかったね、と言って手助けしたことさえ忘れてしまうというような執着心のないものです。

夫に対しても、大人として自分でするべきだろう、ということはずっと手も口も出さずに過ごしてきました。

朝は起こさない。食べるか食べないかわからない朝食は用意しない。頼まれてもいないスーツのクリーニングはしない。夫がメインで使っている部屋の片付け、掃除はしない。脱ぎ散らかした服や靴下は、夫自身が洗濯籠に入れるまで洗濯しない。食後の食器も下げない。夫が使った鍋・フライパンは洗わない。

ひどい妻でしょ?

頼まれればしますよ。主婦ですし。朝起こすのだって、この日だけはどうしても遅れるわけにいかない、自信がない、と言われれば起こすかもしれません。でも、私が起きれなくて起こせなかったとしても、責任は負いませんし、先にそういうことを言っておきます。だって、朝時間通りに起きて出かけなきゃいけないのは私じゃなくて夫自身ですから。

だいたいは夫のほうがプライドが許さないんでしょうね、頼んできません。

夫は頼むのは嫌だから操作しようとしてきます。でも以前は、私はかなり夫の領域と自分の領域を区別していたので、うまく入り込めないようでした。夫が侵入しようとしても、私はうまく体をかわして、別の場所に移動して自分のスペースを確保していた、そんな感じだったと思います。

そして、いつでも何かあれば夫の元を離れる覚悟はありました。夫もそれを察知していた分、おとなしかったと思います。



それがどうしてこんなに支配されるように変わっていったか、自分の中に入り込まれてしまったかというと、どうもやはり子供が出来たこと、そこに一番のきっかけがあったと思うのです。

親は子供のことに責任を持ち、出来ないことを肩代わりして、支えてやる。子供の責任は親の責任。この、親の責任を負うことで、私の中での他者との線引きのルールにほころびが出来たように思います。子供の世話をしていると、どこから子供でどこまでが自分のことかわからなくなったりします。夫はうまくここにつけ込んできました。

夫は、自分の思う通りに私を動かすために、子供を口実に使うとよいということを学習したようです。

「子供のために総菜を食事に出すのはよくない」
「掃除をキチンとしないと子供の環境に悪い」
「食事中にテレビを見せるのはやめよう」
「早寝早起きさせて生活のリズムを整えるべきだ」

私は、子供のことを考えればもっともなことだ、私もそうした方がいいと思う、と、取り入れていきます。確かにいいこと。でもこれは、ただ夫が私を動かす口実に過ぎなかったんじゃないか、と思えてきました。

最初少しの間だけ参加した夫自身は1週間後には堕落していき、私に丸投げです。夫自身は子供の前でインスタントラーメンを食べ、物の散乱した掃除もしていない部屋に子供を入れ、食事中は子供の様子も見ないでテレビにかじりつき、昼過ぎまで寝たりするようになります。

もちろん、意図してやっているわけではありません。本人は、本気で子供のためを思っていっているつもりでいます。

そして私は、子供の生活を考えると、一度取り入れた方針を簡単に覆せず、どんどん窮屈な生活になっていきました。自分のことをする時間もなかなかとれず、ちょっとした内職のようなことにさえ、罪悪感を感じるようになりました。

家事、育児にどんどん手が回らなくなってきた私に、夫は不満を持っていたんでしょう。下の子を早めに保育園に入れたいと言ったとき、夫は言いました。

「下の子の成長が遅いのに、今保育園に入れていい時期とは思えない。だいたい、お前は家でなんかやっているみたいだけど、子供を保育園に入れてまですることか?」

下の子の成長は決して遅くありませんでした。上の子がかなり色々なことの習得が早かったので、夫は上の子を基準に見てしまっていて、下の子そのものの成長をきちんと見ていなかったのです。

私の内職についても、夫には許可を取って(お決まりの「あんたがいいならやったらいいんじゃない?」ですが)始めたものなのに、結局こうして子供を口実に使って攻撃材料にされてしまう。



夫は、「子供思いの父親」になったつもりでいます。保護者会にも自分からどんどん参加して、外に向けてのアピールも怠りません。それでいて、実際に子供と遊んでいると5分で寝てしまうのは、本当に「子供思い」なのでしょうか?外出先では世話焼きでも、家では子供の前で仕事しているか寝てばかりいる彼は、本当に「子供思いの父親」なんでしょうか?

私には、私を思い通りに操れる「子供のため」という伝家の宝刀を手に入れて、嬉々として振り回しているようにしか見えないのです。
posted by 蝉ころん at 09:51| Comment(3) | 夫との日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月26日

週末のこと

週末、また夫からの要求がありました。家計簿に引き続き、第二弾です。

要求そのものは、至って普通のこと。昼ご飯を普通の時間にしろ、というものです。子供が生活のリズムが狂うから、ということです。

2時に昼食は確かに遅いと思います。それは確かに私がよくなかったです。

とにかく夫のために何かするのが嫌で仕方がない。でも子供のためには食事を用意しないと。私も食べないと。やる気が出ないのをなんとか動いた結果が2時でした。

言い訳ですよね、こんなの。でも今はこういう状態なんです。そこを夫は理解しようとせず、自分は夜更かしのあげく昼まで寝ているのに、私には子供のためと言って規則正しい生活を強制してきます。夫にとっての子供の存在は私を締め付けるための道具なのか?とさえ思ってしまいます。



ただでさえ、この日は調子があまり良くなかったので、少なからずダメージを受けました。精神的におかしいぞ〜という状態でした。

突然手に持っていたグラスを傾けてコーヒーをテーブルに流したくなったり、自転車で走っている最中に横の田んぼに突っ込んでいくイメージが頭に浮かんだりしました。

どちらも実行はしていません。ただ、ふっと頭にそういうイメージがわいて、「あー私おかしいぞー」という意識があっただけです。私の中にはずっと破壊衝動があって、ときどきこうして顔を出してくるように思います。たまに人知れずTシャツを破いたり、タマネギを包丁で突き刺したりすることもあります。

この日は帰宅拒否もあって、買い物に出たものの買うものを忘れたり、なかなか家に帰れずに意味もなく回り道をしたりしました。これもときどきあります。

それでも私が家に帰るのは、子供のため、それ以外にはありません。



昨日は夫の部屋の机の上にうつ病についての冊子が置いてありました。これはどういうメッセージなんでしょうか。お前はうつだから診てもらえという意味?まさか・・・。私は夫がうつ病だと言い出したらどうしよう、と思っています。

ありえないことではありません。
posted by 蝉ころん at 09:23| Comment(9) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月25日

長髪フェチ?

夫はどうやら、長い髪が好きらしい。

出会った時から付き合い始めるまで、ずっと私はベリーショートだったにもかかわらず、夫は私が髪を切るたびに不機嫌になったものだった。

最初は、気付かなかった。だって、私はずっとショートなのに、ショートが嫌いだとは思わなかったし、まさかそんなしょうもないことで不機嫌になる人間がいるとは信じられなかったから。夫本人に確かめても、「そんなことないよ」と否認していたし。

でも、この「髪を切ると不機嫌」はずっと続いた。それでも私は、自分の好みを貫き通した。一度だけ、上の子の妊娠、出産時には、匂いがダメでカットに行けず、伸ばし放題に伸ばしたことがあった。このころの夫は、あまり不機嫌になることがなかったように思う。

そして、この時期の私の写真は、今も夫の部屋に飾られている。そんなにお気に入りなのか、それともイヤミか、責める口実を与えないために片付けないのか。理由はわからない。でも、まだそれなりの夫婦関係を保っていた頃にも、一度も写真を変えなかったことを考えると、やっぱりこの頃の私の外見が好きなんだろう。

一時期、私は週末ごとに少しずつ、自分で髪を切っていた。これだと、切ったことがはっきりわからないし、私も自分の好きな髪型がキープできるので、なかなかいい感じだった。その後、私のカットタイムであった入浴時は、子供と入ることになって、終了した。



今、夫のロングヘアーへの執着は子供に向けられている。(うちには女の子がいます)

子供の髪を切ってやるたび、夫の口から子供に向けて発せられる言葉は、「切っちゃったのか」。この言葉を言わなかったときはない。いくら上手に切れて、かわいくなったと子供が気にいっていても、上機嫌で「お父さん見て見て」と見せにいっても、心底残念そうに、「切っちゃったのか」と言う。

子供は、その一言ですっ・・と表情が変わる。子供でも、こんな言葉の意味はよくわかっているんだなあ。やっぱり「かわいくなったね」って言って欲しいんだなあ、と思う。

だんだん、髪を切るのを嫌がるようになった。髪が長くて洗ったり手入れが大変でも、切りたくないと言う。本人が長い髪が好きになってきたのもあるだろうと思う。髪を切るのが面倒くさいというのもあるだろう。でも、他の面でも、夫の気に入るような行動をとろうとする子供を見ていると、やっぱり夫の言動の影響は少なくないと感じる。

そんな子供を、夫はとても気に入っているようで、髪をとかしてない、ぐちゃぐちゃなままでも、梳かせとか、まとめろとか言ったことがない。ただただ、長い髪が好き、それだけなんだと思う。

夫が長い髪が好き、それはいい。でも、そのために私や子供の感情を無視して髪を切らせまいとするやり方は、やっぱり許せない。


こんなふうに、なにごとも夫自身ははっきりと口に出さず、私たちの行動を制御しようとしている。
posted by 蝉ころん at 10:08| Comment(2) | 夫との日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月22日

見守ること、見張ること

子供に何かをさせるとき、どうしても、他のことをし始めた子供につい口を出してしまいます。

何時までに家を出なければいけない、だからそれまでに食べさせて、用意をしなければ。なかなか食べてくれない。一口食べるごとに遊びだす子供に、「ほら、口空いてるよ!」と次を入れさせる・・・。毎朝の風景です。

こんなとき、私は子供を「見張っている」んだと思う。

時間がないから仕方ない、そんな面ももちろんあります。でもできるだけ、これを「見守っている」に変えていきたいと思っています。

見張られていては本当の力が出せないのは、今、私自身が身にしみて感じていること。夫は、私本人にはまるで関心がないから、私に興味はありません。でも、家事の出来にはうるさいです。夫は、私の仕事状況を、常に見張っているのです。

見張ると言うことは、結果にしか興味がないといっているようなもの。

私は子供に食事をさせているとき、食事を楽しんでいるか・おいしいか・お腹いっぱいか、という状態・気持ち、ではなく、食べるべき物をちゃんと食べたか、時間までに食べたか、という結果にしか目をやっていないのではないかと思います。

他のときも同様です。

これには、将来の子供が幸せになれるように、という気持ちももちろん含まれているんですが、今の子供が幸せか?という観点がすっぽり抜けています。いつも、5分先、10分先、20年先の子供の気持ちにばかり目がいっていて、今現在の子供の気持ちを置き去りにしてしまっている。

見守ると言うことができた時、子供はわりと素直です。見張ってしまったあとは、少し離れることで、回復も出来るようです。

私はほとんど見張られることがなかったかわりに、見守ることもされずに育ってきました。だから、見守る子育てがどんなものなのか、実はわかっていません。

だから子供との関係は、悩みつつ、試行錯誤しつつ、探りながら進んでいくしかないと思います。



夫との関係は・・・

考えてみたら、夫は、私を見守っていたことがありません。興味を持って、好感を持って私に目を向けていたことがまったくないんです。興味があるのは結果だけ。部屋が片付いている、食事が出来ている、服が畳んでしまってある、頼んだことができている、そんな結果だけを見ていました。熱で動けないときでさえ、つらいかどうかはどうでもいい。食事が作れるのか無理なのか、食べられるのか食べられないのか、そんな情報だけが欲しいようでした。

夫は私の行動だけを見ています。私は見張られています。

でも夫自身に見張っている意識はありません。私と言う人物に興味がないということも自覚はありません。きっとこんなことを言っても夫には何のことだかさっぱりわからないでしょうし、理解しようとも思わないでしょう。



結果だけを見張る夫のような人間にはなりたくない。結果を出さないといけない時にでも、経過を見守る目をもてるようになりたいです。
posted by 蝉ころん at 14:09| Comment(3) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月21日

隠す

昨日の記事のつながりで・・・。

私は、夫に私の行動を知られるのが嫌です。以前はそんなことはなく、むしろ何でも一緒に体験したい、特に何か楽しかったことがあると、一緒にいたらよかったのに、なんて思うくらいでした。

でも、今は、椅子に座った、立った、トイレにいった、そんなごく普通の動きさえ、察せられるのが嫌でたまりません。

この感情にもどんどん拍車がかかっていて、最近では、平日の出来事を子供が夫に話すことにさえ嫌悪を感じてしまいます。無理矢理やめさせるようなことはしませんが、心の中では、頼むから私が絡む話はしないでくれ・・・なんて思ってしまいます。

子供も、告げ口をしているつもりはなく、ただ普通に話しているだけですが、夫がいなかった夜の食事がカレーの残りだったとか、友達と一緒に遊びに行って遅くなったとか、今日は昼まで寝ていたとか、そんな話をしているだけですごい不快感があるのです。

私の生活態度は夫に筒抜けです。信頼関係のない人間に全てを知られてしまう。だからといって子供が父親と話をする権利を奪うことはできません。

こういうこともあって、子供の前でさえ普通の私でいられなくなりつつあります。自分でもおかしいと思います。まるで子供のことを夫のスパイのように思ってしまう。

このブログも子供の前では書けません。ひらがなしか読めなくても、変換前に読んでしまいます。モラハラなんて、カタカナで読みやすくて覚えやすい。いつ夫に伝わるかわかりません。

夫に知られたくない、それだけのことで、私は子供にまで隠し事をするようになりました。それがまた罪悪感の元になる。

それに対して、夫はなんでもオープンです。はっきり口で言いはしませんが、絶対目に止まる、という場所に証拠の品を残しておきます。新しい物を買った、どこかで食べてきた、今度はここに行く・・・。自分では一言も喋らず、手紙でもメールでも電話でもなく、ただ事実のみが私に伝わるようになっている。それで自分は隠し事はしていないことになるんです。聞いていないと言っても言い忘れただけ、隠してないだろ、置いといただろ、と。

でも私は隠し事だらけ。家事をしていることさえ隠したいんですから。部屋を移動したことさえ知られたくないんですから。それはまた夫の攻撃材料(家族で隠し事はいけないだろ!)になって、「隠していること」そのものさえチェックされています。

さらに家計簿つけで行動範囲も知られることになり、いつでも夫に監視されているような、圧迫感を感じています。
posted by 蝉ころん at 11:04| Comment(9) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月20日

家事ができない

家事の手抜きがひどくなっています。

また、この週末、夫からの要求がありました。昼食の支度が遅くて子供の生活に影響しているから早くしろ、というもの。

夫は、こういう家事に関する、子供に関することを要求してくる際、不適切だと思われる状態のデータを何回分もしっかり集め、付け入る隙のない理論武装をしてから責めてきます。

こういう要求をしてくるときは、夫自身の生活リズムさえきちんと整えてきます。ほとぼりが冷めたらまた休日は昼夜逆転に戻るんですが、前後1ヶ月はやり抜き、「俺だってこんなに頑張って出来ているだろう」というアピールをするのです。

実は、夫が見ていない日の生活リズムはしっかり整っています。なぜかというと夫がいないからです。

私は夫に家事をしているところを見られたくありません。家事をした結果さえ、見られたくありません。そういう心理があることがちょっとわかってきたんですけど、それでもこの気持ちはどうにもならず、夫がいる日は家事が手に付かないのです。

いつからか、夫がいる日は、洗濯も掃除もしなくなりました。朝、まだ夫が起きていない時間にははりきっていろいろしようと思います。夫が起きるまでには洗濯もします。が、夫が起きた気配を感じたとたん、一気に気持ちが萎えていって、なにもしたくなくなるのです。

なんでここまで夫がいるとダメになってしまうのか。

私は夫に評価されたくないのです。いい評価、悪い評価に関わらず、評価されたくない。できないところも見られたくないし、できることも知られたくない。

夫は上昇志向がすごく強い気がします。私にもそれを押し付けてきます。

私は、なるべく続けられることを目標にするので、ちょっと手抜きくらいで、習慣づけて、余裕ができたらもう少し上のレベルに手を出してみる、という上達を目指すんですが、夫は違います。

私が手を抜いていると、手を抜かずに頑張れ、となります。頑張っていると、引き続き頑張れ、もっと上を目指せ、と言われます。頑張っている状態を続けても、それはできるようになったことなんだからできて当然のこと。

そこで疲れて、これでは続かない、続かないよりはマシだ、と手を抜くと、なぜできることを手を抜くんだ、ちゃんとやれ、と言われる。でもずっと頑張ってて続かない、と反論すると、それは甘えだ、お前はもっとできるんだから頑張れ、俺はできると信じてる、などと、応援するようなことを言って追いつめてくるのです。

確かに一つ一つで見たらできることばかりなんです。でもそれを全部やろうと思ったら、私には辛いんです。確かに全部きちんと完璧にしていらっしゃる方もいるでしょう。でも私には無理なんだ、ということは絶対に受け入れてもらえませんでした。

最近は、私がやらない、ということを感じているようで、私を見切ったようです。どんどん家事領域に踏み込んできています。洗濯や洗い物、掃除なんかをするようになりました。私が家を空けている隙に、私に一言の断りもなしに、です。そして要求を突きつけてくる。

「俺はこれだけやってやっている」「お前はこれくらいのことはするべきだろう」というメッセージに受け取る私は変でしょうか。

ますます家事に手が付かなくなるこの状態は、私がただ怠けているだけなんでしょうか。私だってきちんとした生活がしたいんです・・・。
posted by 蝉ころん at 15:13| Comment(11) | 今の私 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月16日

私のモラチェック

私の子供に対する態度でチェックしてみます。(チェック項目を妻→子供として読んでください)


1、出された食事が気に入らない時、別の物を食べる。
これはまだ無理なので・・・。

2.妻の趣味、特技が理解できない。くだらないと思う。
うーん、鼻くそ集めとかは理解できないというかしたくない・・・。

3.「どうして?」「こんなことも分からないの?」と言う。
言ってた時期ありました。いや、今もかな。「なんでこんなことするの?」って責めるように。

4.体調は、悪くても妻なんだから家事は、すべき
体調悪いんだから暴れてないでおとなしくしてなさい、とは思います。

5.言い訳、反論されると「そうやって俺を非難するのか?」と言う。
どうだろう。叱ってる時なんかは「言い訳してないでちゃんと聞きなさい」とか言うことあります。

6.家の中がきちんと片付いていないと不完全なところを探し「一体毎日何をしているのか」と皮肉、嫌味を言う。
片付けて、って言っても片付けないときとか、「一時間もなにしてたの」なんて言います。

7.妻の前でため息や舌打ちをする。
ため息します。怒鳴りたくなって、我慢するとため息がでます。不満から出る態度って意味では同じですね。

8.妻が楽しそうにしていると不愉快になる。
これはないです。楽しそうだと嬉しいです。
う〜んでも、片付けなさいって言ってるのに余計散らかして遊んでいる時なんかは楽しそうでも腹が立ちます。

9.妻に長時間、説教することがある。
ありました。今はないですけどいろいろ言いたくなっちゃうのは変わってません。

10.「誰のお陰で生活できるんだ」と言う。
これは言わないし、思ってないです。「せっかく作ったんだからちゃんと食べて」とか言うのはどうなんだろう・・・。


ひどいもんですね。

私もやっぱり素養ありです。弱い方に向かっているってことなんでしょうね。夫→私→子供って。ときどき上の子が下の子にキツいこと言ってるとドキッとします。

それでも、夫との関係に疑問を持ったおかげで、子供との関係を見直すことができて、よかったと思っています。私は心からいい母親ではないんです。そして、いい母親にはなれないのかもしれない。でも、私なりにそれを知っていることで、少しでも回避できる何かがあるんじゃないかと。
posted by 蝉ころん at 16:51| Comment(2) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

子供との関係

子供といると、なんだか色々とストレスに感じてしまうことが多い。

もっと早く寝て欲しい。それなら早く起こせばいい。起こしても起きてくれない。でも起きて欲しくないときは早くに起きてくる。

今から出かけると言う時になって散らかして遊びだす。くたくたで帰ってきて片付けるのは嫌だから片付けてから行きたいのに、今散らかさないでと思う。

なかなかおむつがとれない。まわりからいろいろプレッシャーがある。励ましてくれている言葉さえプレッシャーに感じてしまう。でものんびりゆっくりやろうと思う。でもへんな焦りがある。

ご飯をなかなか食べ終わらない。そのくせ食べ終わったとたんにおかわりと言う。あげないと泣く。

時間までに家を出ないといけない。子供の準備が終わらない。急かすと余計やらない。手をだすと暴れて拒否する。でも言わないとやらない。時間にいくら余裕を見ても、いつもギリギリにしか終わらない。

夫に会いたくないために、夕飯も早く食べて、お風呂に入って眠りたい。でも子供はぐずぐずする。帰ってくる、帰ってくる、と焦る。



こんなふうに、どんどんどんどんイライラしてきて、怒鳴ってしまう。「お母さんだって怒りたくない!お母さんを怒らせないで!」なんて言ってしまうこともある。イライラが抑えられなくて、無視してしまうこともある。気持ちを落ち着けなければと思っても、子供が泣くと余計にイライラする。

こうなってしまうと、もう冷静な私はいない。落ち着いて考えれば、ぜんぶ子供の気持ちを無視した大人側の押しつけに過ぎないことはわかる。

私はたぶん、焦り過ぎているんだろうとは思う。

私は、先にしなければいけないことをしてしまってからのんびりしたいタイプだ。責められるのを回避するためのように思う。そして、これを子育てにも当てはめてしまっているんじゃないか。まず先に子供にさせなければいけないことをさせてから、のんびり遊んでやりたい、と思う。やらなければいけないことが残っていると、私自身が落ち着けないから。

なんでさせなきゃいけないんだろう。なんで時間に遅れちゃいけないんだろう。今のところ、子供は致命的に時間に遅れたことはない。経験してないから、どうなるかなんてわからないだろう。

私はもうすこしのんびり構えて、失敗させてやればいいんだろうか。それもこれも受け止めて、育てられるようになればいいんだろうか。失敗したことで、平気でどんどん失敗する子供になったりしないだろうか。傷ついてやる気がなくなりはしないだろうか。

私は子供のことに関わり過ぎて、自分の所有物みたいに思ってしまっているんだろうか。子供が自分で責任を取るべきことに、必要以上に責任を感じてしまっているんだろうか。子供の世界に入り込み過ぎているんだろうか。

それでも、社会には、守らなければならないルールもあるし、マナーもある。大人が、親が、教えてやらなければいけないこともある。

焦って、葛藤して、怒鳴ってしまう。無理矢理支度を手伝ったりする。そして、集合に間に合わないと迎えが来て、「みんな集まってるから」なんて言われて、それだけのことで、わけがわからなくなって泣いてしまったりする。物にあたったりもする。

私は、キチンとした親でない、という評価を怖れているだけなんだろうか。キチンとした親になれていないことが気に入らないんだろうか。

これはモラハラの心理とは違うのか。私は本当に子供のことを思った親なのか。私の評価のために子供を使ってるんじゃないのか。本当はイライラしているのに表面を繕って子供に接しているのは子供のことを思ってのことか?ただ子供を動かして自分が安心するためにやっていることじゃないのか?

いいお母さんになりたい。でもそれは子供のため?私がいいお母さんと思われたいだけ?

子供のことを自分のことのように管理しようとしちゃいけない。自分への評価として子供を動かそうとしちゃいけない。頭ではわかっているのに、感情が焦って暴走する。気持ちと理屈が合っていない。でも時間に追われていつもこんな毎日になってしまう。

モラハラのことを考えるようになって、私のやっていることが子供へのモラハラ、つまりは虐待に思えて仕方がない。抑えるようにはしているけど、夫との生活の辛いところを考えるに、抑えていること、実は本当は心の中では怒鳴りたいと思っていることも虐待なのかと思う。

「それは虐待ですよ」と言われるのも怖いし、「大丈夫、いいお母さんですよ」と言われるのも怖い。

子供のことに関しては、自分で自分がわからない。
posted by 蝉ころん at 16:30| Comment(2) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

モラチェック

夏草さんのブログで、昨日のスーパーモーニングでやっていたチェックリストを載せてくださったので、やってみました。

夫のことをストレートにチェックすると、ほぼノーチェックになります。でも探ってみると・・・




1、出された食事が気に入らない時、別の物を食べる。

気に入らないより、足りないと食べます。子供が食べ終わっていない横で、一人で新しいものを出してきて。子供が欲しがるとあげたりします。子供は私の食事より夫の出してくるものの方がよくなってしまうので後が大変。でもこれは嫌がらせではないですねたぶん。


2.妻の趣味、特技が理解できない。くだらないと思う。

始めたばかりの趣味だったり、もの集めの趣味なら、一緒にやります。自分が始めたかのように熱中して、すぐ飽きます。飽きると私を「まだそんなものやってるのか」呼ばわり。
最初から太刀打ちできないと思っている分野の趣味は、完全にスルーされます。「俺には理解できないから」だそうです。ばかにしているつもりはないと思います。


3.「どうして?」「こんなことも分からないの?」と言う。

雑学はどうやら私の方があるらしく、普段は私の知識に頼っていたりするのであまりこの言葉に出くわしたことはありません。たまに夫の方が知っていることがあると、鬼の首を取ったようにこのセリフを言われることがありました。

ただ最近は、「なんでこれくらいのことをしないんだ」「こんなことができないんだ」系のことを言うようになりました。


4.体調は、悪くても妻なんだから家事は、すべき

体調が悪いと、食事の用意はしてくれます。何回も指摘して、洗い物もしてくれるようになりました。ただし、熱があっても脂っこいもの。うどんといってもこってり具沢山。しかも、私から何も言わずに寝込んでいると、不機嫌に「何をして欲しいのか言わなきゃわからないだろ!」なんて言われる。

となりの部屋で寝ているのに、大音量でテレビをつけ、大音量で笑います。寝られないので本なんか読んでいると、「具合の悪いヤツが本なんか読むな、寝てろ!」と言うし、うるさくて寝られないんだなんて言おうものなら、当てつけに乱暴にテレビを消して、こんどは乱暴に食事の支度をしたり。安心して寝られる環境にはしてくれません。

どうも、一般的に「妻が体調が悪いときは夫がしなければならない」ことになっているからしているだけのようなんです。それくらい当てつけがましいです。それに大抵は「お前が病気なら俺も病気♪」が炸裂するので、いきなり寝込んでいないとやってもらえることはありません。


5.言い訳、反論されると「そうやって俺を非難するのか?」と言う。

非難されたと思っているかどうかが疑問です。「お前はまず言い訳だな」とか「なんでもかんでも俺の意見に反論するな」とかは言われます。

テレビを見ていて、夫が何か感想を言う。そして私が「そうかそういう考え方もあるね。私は〜〜だと思ったけど」と言ったら反論だそうです。これで私は自分の意見を言いにくくなりました。


6.家の中がきちんと片付いていないと不完全なところを探し「一体毎日何をしているのか」と皮肉、嫌味を言う。

皮肉、嫌みの類はあまりいいません。

「今週は何回掃除機をかけた?」とか、あくまで具体的に不備を指摘されます。夫は事実を聞いているだけで、私が勝手に負い目を感じるわけです。「何回は掃除機をかけろ」なんてことは言いません。目標設定はあくまで私のすることで、達成できたかどうかを夫がチェックする。達成できないでそれでいいと思っているのか?と、あくまでこちらの問題として責めてきます。

なんか書いていてムカムカしてきました・・・。


7.妻の前でため息や舌打ちをする。

しないです。でもしてる気配はあります。そういうときはぱっと私が視線を投げると妙な笑顔になったりするのできっとしているんでしょう。


8.妻が楽しそうにしていると不愉快になる。

基本的に私の機嫌には無関心です。

ただ、夫がプロデュースした企画では楽しくしてないと不機嫌、でも夫より楽しそうだとアウトです。私が企画したものだと、どっちにしても不機嫌。私が楽しめないようにしてるのか?というくらいの不機嫌で、でも「言わないようにしてやっている」という態度です。

ああこれ、被害妄想だと思われないか不安です。本当に当てつけがましいんですよ〜!


9.妻に長時間、説教することがある。

あります。でも本人は会話しているつもりだから、説教とは思ってないでしょう。こんなにコミュニケーションに時間を割いているいい夫とでも思っているんじゃないかな。


10.「誰のお陰で生活できるんだ」と言う。

それを言ったらいけないという知識はあるので、口が裂けても言いません。

でも態度はどうみてもそうなんですが・・・。夫の金の使い道は私にはほとんどわからないのに、こちらの使い道は知っていないと気がすまないところとか。たぶん自覚してないんでしょう。

夫の姉は平気で口にしているし、素養はあるかと思います。




こうして、私視点で見るとオールチェックに近くなります。そういう目で見てるからそう見える?

・・・やっぱり隠れモラなんでしょうかねえ。
posted by 蝉ころん at 14:17| Comment(4) | 夫を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月14日

カウンセリングにて

また少し沈みがちな私です。どうもここを書けないでいるとよくないみたいです・・・。

今日は、カウンセリングを受けてきました。そこで、キャッシュカード取り上げ事件について話をしました。カウンセラーさんに「それであなたは、キャッシュカードを渡してくれないことについてあなたの思っていることは言わなかったんですか?」と言われました。ああ、そうか、本当はそこで言うべきだったんだと、でも、その時は言うべきことなんてなにも浮かばなかった自分にも気が付いて、凹んでしまいました。

さらに、「後になっても、あの時私はこう思った、こう感じたと、話をした方がいいですよ」と言われて、涙がボロボロ出てきました。嫌でした。夫と話をしないといけないのが。自分の思いを口にするのが大切なことだとわかっていても、やっぱり無理です。考えただけで動揺して胸が詰まります。

家を出る用意があることを打ち明けたらどうかとも言われました。失うことを考えたら態度が変わるかもしれないと。でも、どちらに転ぶかもわからないことに踏み切れない。まだ準備段階にさえ入っていないのに、もし締め付けが厳しくなったら?逆に追い出されて金銭的なことを理由に子供を取り上げられたら?怖いです。でも、いずれくる事態なんだから、覚悟はしていたつもりでした。

まだまだ心が決まっていない自分に打ちのめされてきました。わかったようなことを書いていて、何も決心がついていない私でした。
posted by 蝉ころん at 14:39| Comment(4) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月11日

義母の世話になった日々

初めての出産のとき、私は夫の実家にお世話になった。

私の実家は仕事をしていて、朝遅く夜遅い時間軸で生活していること、母は父のことと仕事で手一杯で、私と子供の世話まで手が回らないだろうこと、父が耳が悪いため、家の中にはものすごい音があふれていること、実家までの距離が遠く、移動に4時間ほどかかること・・・などの理由で、里帰り出産はしないと決めていた。

本当は、退院後は自宅に帰ってくる予定だった。このころは夫もまだそんなに忙しくなく、できるかぎりのことはすると言っていた。そして私もそれを信頼していた。

妊娠8ヶ月くらいになったころ、電話で母に出産後はどうするんだと聞かれたので、正直に家に帰って夫婦で頑張るつもりだと話した。すると、産後に家事なんてとんでもない、向こうのお義母さんにお世話になりなさい、と言われた。

私は、出産の先輩がそういうんだから、自分たちでなんとかするのは無茶なのかも、と思い、悩んだ末に義母に電話して、産後、世話になれないかと頼んだ。通ってもらうのは申し訳なく思い、私が義母の家に行くことになった。夫は、「ふぅん、あんたがいいならいいんじゃないの」という、賛成とも反対ともわからない反応をした。

義実家での生活は、ストレス満載だった。

家の前が街道筋で夜中でも大型トラックが頻繁に通るのは仕方ないとしても、義実家で暮らしている夫の兄弟が、真夜中に大きな音を立てて帰ってくる。朝は早くから小学校に行く登校拒否気味の子供がいて、必ず玄関先で行きたくないと言い出すので、大声で叱り飛ばしてから登校させる。玄関横に部屋をあてがわれた私は、義家族が玄関を出入りするたびにその物音にびっくりして目を覚ます。もちろん寝付きかけた赤ん坊も目を覚ます。ただでさえ3時間おきの授乳で睡眠不足なのに、朝も夜も気の休まる時間がなかった。

夜中の授乳時も、赤ん坊が泣き、授乳の用意をしていると、義母から声がかかる。「泣いてるなら抱っこしてあげようか〜?手伝ってあげるよ〜」夜中くらい、放っておいて欲しかった。「大丈夫です」と返事をしつつ、どんどん「泣かせちゃいけない」と思うようになっていった。それでも泣かないわけがない。ノイローゼ気味になっていった。

義母しかいなくなる昼間は、「居間に来て一緒にテレビを見てくつろごう」と義母からお呼びがかかる。食事中に、子供が泣いて授乳をすると、戻った時には食事が片付けられている。「冷めちゃっておいしくないから。また作るね」と言ってくれたが、次の食事の時間までなにも出てこない。冷めててもいいから、食べたかった。特に授乳後でお腹はぺこぺこだった。たまに下げられていなかったときも、食べていると「そんなおいしくなくなったの食べないで!またつくるって言ってるでしょ!」と怒ったように言われた。そして、新聞でも読んでくつろぎな、と言われるのだ。私はそんなことより食べたかったし、眠りたかった。

1週間経っても悪露が減らなかった。普通ならもっと減っているはずなのに。授乳も、完全母乳を目指していたのに、母乳の状態がなかなか良くならなくて、混合が続いていた。私はどんどん憔悴していって、一人で部屋にこもっては泣いているようになった。授乳をしている最中に掃除機をかけに入ってこられたこともあったから、一人で部屋にいても、泣いていても、いつでも気を張っていた。

結局2週間でギブアップした。夫に家に帰りたいと伝えると、「あんたがそうしたいなら、いいんじゃない?」と言った。なぜ帰りたいのか、何が辛いのかを訴える雰囲気ではなかった。夫は、全く何もわかっていなかったし、わかりたいとも思っていなかったんだろう。

今振り返ると、監視されているような生活だった。授乳していても部屋に入ってくるし、それを深いに思ってちょっと隠れ気味するだけでも「なによ隠すなんていやらしい」と言われた。下着の洗濯を頼むのも、本当は嫌だった。できれば夫にして欲かった。ほとんどプライバシーというものがなかった。

義母は、私がいる間中、「産後に頼ってきてくれる嫁なんてなかなかいないわよ、いいお嫁さんもらったわね〜って、みんなに羨ましがられているのよ〜」とご機嫌に何度も繰り返していた。その時は、嬉しく思ってもらっているんだ、それならよかった。なんて思うようにしていたけど。結局自慢してただけ?嫁に頼られるいい姑なことを自慢する材料にされただけ?っていう疑問は持っていた。

あの生活はなんだったんだろう。
posted by 蝉ころん at 10:55| Comment(3) | 夫との日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月10日

夫といる日々

まっち〜さんのモラルハラスメント・ブログで、「モラといた日々、モラのいない日々」という共同企画をされています。

いつか、私もそんな記事が書けるようになりたいな。と思いつつ、モラといる今の生活を考えてみました。

まだモラルハラスメントと言う言葉に出会っていない頃。私はどんどん自分を失っていました。

普通に考えれば私は別に悪いことをしていないはずなのに、なぜだか機嫌が悪くなる夫。突然の機嫌の急変には、ああ、また機嫌がいいからと思ってまた私は調子に乗ってしまったんだ、と、原因を作った自分を責めます。

機嫌が良くても、とくに楽しいことがあるわけでもなく、ただ普通であるだけの夫に、不機嫌でないということだけをありがたく思って、不機嫌になられることにおびえながら暮らしていました。

私は自覚なく夫に振り回され、私が訴えるたびにころころと手の変わる夫の嫌がらせに翻弄され、いつしか私の心の中には、私の気持ちよりも夫の動向が多くを占めるようになっていました。夫ならこうするだろう、夫ならこう思うだろう。夫ならどうするかな・・・。無意識に夫の望むように行動している自分を知らず、自分がなくなっていることには気付きもしませんでした。

モラルハラスメントに気付いてから、ほとんど自分の考えと言うものが残っていない自分に愕然としました。カウンセリングに行ってさえ、自分の言葉が出てこない。夫を責める言葉より、まず自分の非を懺悔するように吐き出していました。夫から離れることが最善の道だという理解はしていたものの、「別居したい」と口に出した言葉は、ただの知識に過ぎず、自分の心からの言葉ではありませんでした。

自分を振り返ることで、気持ちを少しずつ表に出すことで、かなり自分が戻ってきたのが今の状態です。

でも、夫といると、やっぱり苦しくなってきます。自分の感情を表に出すことができません。出せないと言うより、地のままの私の姿を夫に見せたくないんです。私にとっての夫は、もうすっかり他人になってしまっています。それも、悪い印象を持つ他人です。そんな人と同じ部屋にいて、思い切りくつろげる人がいるでしょうか。

どこまで自分を取り戻しても、たとえ私が自分の気持ちを出せるようになって、夫の支配から抜け出せたとしても、夫と暮らしている限り、私の幸せはないんだと思います。今のこの家は、私が思い切りくつろげる家庭ではない。


夫のいない日々はまだ想像できません。いつか書けるようになる日を目指しています。




(2010/3/19追記:続編「夫のいない日々」アップしました)
posted by 蝉ころん at 18:36| Comment(5) | 夫との日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

謝らせたい心理

「ごめんなさい」は大切な言葉ですね。

でもな〜んとなく、使用方法に違和感がありました。

「ごめんなさい」は、「ご免なさい」で、「許してください」って意味なんですよね。私はこの言葉に、ずっと「悪いことをしたことにたいする反省」の意味が入っているものだと漠然と思ってたんですけど、言葉だけを見ると、そんな意味はまったくない。

このへんが、ずっと違和感があるところでした。

悪いことをしたのを反省してなくても、怒って、今までのように接してくれなった相手に対して、「もういいかげんに許せよ」というふうに使われるわけです。

少なくとも、夫みたいな人は、こういうふうに使っていると思います。

一般的には違うと思います。やっぱり、反省の意味を込めて、自分が悪いことをした、もうしないと思っている、だから、「許して」なんだと思います。そして、それは、悪いことをしたほうの人間が、許してもらうために、「自分のために」使う言葉で、相手のために使う言葉ではないんですね。

悪いことをした報いとして、以前のように接してくれなくなった人に対して、また元の関係に戻ってもらいたい、仲良くして欲しい。だから、「ごめんなさい」なんですよね。関係がこじれたままでいいと思うなら、「ごめんなさい」を言う必要はないわけです。


じゃあなんで、謝って欲しいと思うのか。「ごめんなさい」には反省の意味ないんです。反省がないなら、謝ってもらう意味もないんです。そこまでして謝ってもらって私の手に入るものは、仲直り、つまり元通りの関係です。

私は、私が元の関係に戻りたくて、私自身が許したかったんです。でも、形だけでも謝ってもらわなければ許せなかったから、「ごめんなさい」が欲しかった。そして、いやなことをされても、謝らせることで終わったことにして、元の関係に戻っていました。いやなことをしないで欲しいと思っているくせに、反省もしない男を許したがっていたのは私です。元の関係に戻りたかったから。

だから、元通りの関係を望んでいるのが私と言うことは、私が「ごめんなさい」を言ったのと同じことなんです。これでは、夫が反省するわけがないし、むしろ私が反省したかのように、夫の要求がひどくなるのも当然です。関係継続を望んでいるのは私なんだから。

なぜ元の関係に戻りたい?一緒に暮らしていて、無視、無言は辛いから。家族なのに、家の中で会話がないのは嫌だから。えーっと、会話がないような男と一緒にて幸せ?幸せじゃない。じゃあ、そんな男、わざわざ許してあげてないで別れちゃえばいいんじゃない?

許す必要なかったんですね。夫の「ごめんなさい」は夫のための言葉であって、私のための言葉じゃないんだから、そこで「いや、許さない」という権利は私のものだった。謝られたら許すべきということにとらわれていました。

私は家族であるということに縛られていました。夫と家族でいるために、自分を納得させるために、とにかく「ごめんなさい」が欲しかった。そんな心のこもっていない一言だけで、人の気持ちが変わるわけはないのに。家族という形態に縛られている限り、夫からは離れられない。離れられないのは、夫のせいではなくて、私の気持ち。

「円満家庭」にこだわっている私が、「ごめんなさい」を求めていたんです。



ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
子供を育てていると、公園などで、自分の子が他の子を傷つける場面が当然出てきます。そこで、やっぱり悪いことを説明して、謝らせるわけですが・・・ときどき、どうしても子供が納得しなくて、とりあえず「ごめんなさい」をさせてしまうことがあります。こういうのもよくないんだろうなあ・・・でも、相手の子も「ごめんなさい」してくれないと納得してくれないだろうしなあ・・・と考えているうちに、この記事になりました。
「ごめんなさい」を受け入れられる心は大切だけど、「ごめんなさい」を期待するのはちょっとちがうな・・・と。

「ごめんなさい」を期待するのは、相手に依存している心の現れなんですね。
posted by 蝉ころん at 17:52| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月08日

人格障害についてのかじり知識

今日、夏草さんのブログを読んでいて「境界性人格障害」の文字にはっとした。

実は、私も自分がこれに当たるのではないかと疑っていた時期がありました。今も、この考えはくすぶっています。ずっと書こう書こうと思いながら、なかなか書けなかったこと。夏草さんに便乗して書かせていただきます。


ただし、これはあくまで私個人の考えているところで、根拠として医学的な裏付けがあるわけではありません。ただ読みかじった知識をつなげたらこうなっただけで、私がこのように思っている、というだけだとご承知下さい。


私が、夫との仲がおかしいことに気付きだした頃、入り浸ってた掲示板で出てきたこの言葉。なになに・・・と関連サイトを検索して特徴を読み進めていくと、どうも、私にあてはまることが多い。夫にも若干、当てはまっていたけど、どうも私の方が多いようでした。

そこで、これは私にも関連のあることだと思い、回復に向けて努力されている方のサイトを読みあさりました。

そのサイトで、「境界性人格障害からの回復が進むと、自己愛性人格障害的特徴が出てくる」とありました。

その時はなるほど、そういうものか、くらいの気持ちでした。モラハラ情報を探るまでは。


そしてしばらくたって、私の境遇を説明するモラルハラスメントという言葉に出会って、また色々と情報を漁りました。そしてそこにあったのは、モラハラ加害者のほとんどは自己愛性人格障害の特徴があると言う情報。

境界性人格障害から回復することによって、自己愛性人格障害に移行し、モラハラ加害者になる・・・。

私には実は思い当たるフシがあります。夫が実は、そのような経過を辿っているのです。もともとは自分に自信のない人で、自分に責任のないことまで負い目を感じるような人でした。そして、負いきれない部分を私にかぶせてきているといった感じがありました。それが、仕事で自信をつけるに従って、だんだんと私にかぶせるものが増えてきたのです。自分のことが嫌いだ、と言っていた夫は、今は自分が大好きなようなのです。

実は私にもそういった傾向がありました。自分を嫌いだった。でも、社会に溶け込んでなんとかやっていけるようになって、自信をつけていったら、自信を持てないで苦しんでいる人たちを、責めるような気持ちが出てきたのです。自分で頑張らないから道が開けないんだ。ぐずぐずしてないで動けばいいのに。私はちゃんと自分の道をえらんでやってきたから、あんな人たちとは違う。

この考え方は、実は母の受け売りだったことが最近わかりましたが・・・。

とにかく、私もモラハラ加害者になっていたんではないか、という疑いがでてきました。そして、自らも人格障害であるなら、他人を人格障害と、加害者と責めるのは、なにかお門違いのような、自分を棚に上げて何を言っているんだというような罪悪感に苛まれました。

最近、思うことは、この人格障害というものが、回復の見込みがあるものだということ。境界性から自己愛性、さらに回復すれば、また違った状態へも移り行くことができるわけです。

精神の発達上、普通なら得られるはずのものを欠いていたために成長が途中で止まってしまっていた状態だというなら、まだまだ成長の過程なんだ、ということです。完成していないんだという自覚があれば、ここでよしとしなければ、一時期モラハラ的な言動をとってしまうことはあっても、そこで留まっていることはないはず。

なんとか、留まらずに成長していければと思います。自分の身体的な老化に騙されないで、子供な精神を成長させていけたら・・・。
posted by 蝉ころん at 14:10| Comment(0) | 考えごと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月07日

片付けしました

今日は少し荷物整理をしました。

やっと具体的に前向きな行動ができました。できるようになってきたという感じです。今までは、やらなきゃいけないことは心に浮かんでも、体は全然その気にならずに行動できませんでした。体を動かす回路がつながっていないようなもどかしさがありました。今日は、わりと素直に体が動いてくれて、少しですが作業ができて気持ちもすっきりしています。

ちょっと頭が痛くなってきたので無理せずに一段落つけましたが。

回復してきたんだな〜と、思います。

ここ二・三年、悪化の一途だったPMSもかなり改善したし、体調が結婚前に戻りつつあります。それと同時に昔悩まされていた便秘が戻ってきたのは誤算ですが・・・。(^^;

それから、記憶の薄れた部分はあまり戻ってきませんが、思考回路が戻ってきました。そうだそうだ、私はこういう時にこんなふうに感じる人だったよ!なんだ、ちゃんと自己表現してたよ私!なんて感動しています。こんなことで感動している自分がおかしくもあり、悲しくもあり。そこまで追いつめられていたんだなあとあらためて思います。

とにかく、頭の中の、つながりが断たれていた部分をとりもどしてきた感じ。

もう二度と、あの自分のしたいことがわからない、思うように体が動かない、思考と心と体が分離しているような、奇妙な感覚は味わいたくないです。
posted by 蝉ころん at 14:05| Comment(4) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月06日

金銭管理の注意事項

キャッシュカードを渡してもらえなくなって、明細を要求され家計簿を付けることになって。色々考えた末にそれは受け入れることにしたわけだけれど。

やっぱりこれは私にとってはあまりいいことではないと思うようになった。

まず、管理するものが渡された生活費のみになったこと。これだけ管理すればいいということは、他のことに目がいかなくなると言うことで、他の、自動振込にしてある分なんかを意識しなくなってしまう可能性。

私自信の金銭管理能力が落ちてしまいかねない。

また、現金で夫から手渡されると言うこと。この、実物を渡す効果と言うのは、心理的に従属しているイメージを持ちやすいものだという話をどこかで読んだことがある。生活に必要なものを自分では直接手に入れられず、渡してくれる相手に依存していることで、だんだん心理的にも依存してしまうとか、そういう話だったと思う。

また夫の支配に戻ってしまう危険性がある。

そしてもちろん、私のお金の使い方を把握されること。夫自身は、それによって支配をしようだとかの意識は持っていない。持っていても自覚していない。でも、そのうち確実に、これは無駄遣いじゃないか、とか、この辺はもう少し削れるだろうとか、言うに決まっている。なんせ食器洗い機を使わずに手洗いしているだけで水がもったいないと怒鳴る人だ。そしてこれは、私の欠点を洗いだされることになる。

また、罪悪感を刺激されてしまう。

この三つの点が、特に気になった。金銭管理能力は、自活には大事なことだし、夫の支配下に戻ってしまえば、さらに自活能力がなくなっていく。罪悪感で自尊心を砕かれる。これは絶対に気をつけなければ。

そう思っていても、頭の中で考えているだけでは、何かの拍子にすぐに消えてなくなってしまうことは経験済み。

それで、この、生活費関連で私が気をつけていなければいけないことについて、しっかりと書いて残しておこうと思った。


・通帳記入を心掛け、お金の流れをしっかり意識すること。
 (管理する範囲以外にも、家計としての管理意識を忘れないこと)
・金銭的、心理的に夫から独立してあること。
 (夫から渡される現金は当然の権利、養ってもらっているなどと思わないこと)
・お金の使い道に罪悪感を持たないこと。
 (確かに威張れた節約家ではないけれど、私はそんなに金遣いは荒くない!)


当然の権利とか、養ってもらってるわけじゃない、の部分は、なかなか私としては受け入れにくい考え方だったりする。今までだって、どちらかというとキャッシュカードを管理させてもらっている、くらいの気持ちだった。でも、今はそんなことより、自分を自分として持つことのほうが大事だ。

なんとなく、夫と生活するにあたって心に留めておいた方がいいことが他にもたくさん出てきそうだと思ったので、新しくカテゴリを作ってみた。前向きなタイトルで。ついでに・・・
posted by 蝉ころん at 14:02| Comment(2) | 将来への心得(私の場合) | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

甘え

夫は、付き合いだした頃からおかしなところがありました。

私たちが付き合いだしたきっかけのサークルがあって、ときどきそのサークル仲間での集まりがあったんですが、そこに二人で参加すると、彼は必ず私を軽く扱うのです。彼が他の人と話している会話に入っていくと、いつのまにか彼が抜けてどこかにいっている。必ず私から離れた席に座る、私に対して嫌がらせまがいのことをする・・・と、いろいろな形がありました。

そのころは、みんなに仲のいいところを見せるのが恥ずかしいんだな、と考えて自分を納得させていました。


でも後に少し、変だな、と思うことがありました。

他のイベントなどで、初めて参加するグループに入っていくとき、必ず私をそばに連れていて、何かあると話しかけてくるのです。サークルや、知人、友人たちといるときとはまるで正反対の行動です。

今でもそれは変わりません。こんなに夫婦仲が冷めていて、私は夫に対して恐怖さえ感じていると言うのに、夫が馴染んでいない状況、知らない場所に行くと、彼はとたんに私に話しかけてきます。

と言っても、なんでも話しかけてくるわけでなく、ずっと無視に近い状態が続いている中で、話したい出来事(大人にしかわからない面白いこと、子供には言えないような恥ずかしかったこと)が起こると、突然に、普通の仲の良い関係だった時のように話しかけてくるのです。そして会話が終わって満足するとまた、何もなかったように無視状態に戻ります。

子供なら、肉親相手にならこういうこともあるでしょう。普段は「自分でやりたい」からお母さんは邪魔。でもわからないことがあると頼りにきて、用事が済んだら「もうお母さんはいいの」って。でも他人、先生相手なんかにはよほど打ち解けない限りそこまでしないのが普通だと思います。子供でも。

夫にとって、私はやっぱり母親としてのイメージが強いのでしょうか。

友達にお母さんといるところを見られるのは恥ずかしい、というような。初めてのオツカイはお母さんにそばにいてアドバイスして欲しい、というような。

話しかけられれば無視をするわけにもいかず相手はしますが、思春期の拗ねた息子みたいな態度をされても、私は夫を育てたわけじゃないし、ほとほと困ります。
posted by 蝉ころん at 13:43| Comment(2) | 夫を読み解く | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月05日

掃除のこと

結婚当初、共働きだったこともあって、家事は半々で、という約束だった。

平日は先に帰った方が夕飯を作り、遅かった方が洗い物をする。
手のあいている方が洗濯物を干し、取り入れて畳む。

最初のうちは、うまくいっていると思っていた。でも、なにかおかしいことに気付いた。

部屋の片付け、掃除は、とくに分担を決めていなかったせいもあって、夫はなかなか動かなかった。

私が散らかっているなあと思って片付け始めると、「片付けようよ」と声をかけても「うん、ちょっと待って」と言ったまま、終わるまで動かない。掃除機をかけても、夫の座っているところ付近をかけるときだけちょっとどいてそこらのものを持ち上げる程度で、手伝いにもなっていない。終われば「おつかれさま」くらいは言われるものの、不公平を感じていた。

毎回私が掃除をするのもおかしい!だいたい散らかしているのはほとんど夫なのに!と思い、夫自身が我慢できなくなるまで片付けはしないことにした。夫は散らかってると思ってないのに私が勝手に片付けている形になっていたから、逆に夫が散らかっていると思うまで待とうと思った。私も散らかってるのは平気な方だし、まあいいやと。

そのうちに、夫が突然不機嫌マックスで宣言する。「片付けるぞ!」私は有無を言わさず参加させられる。何が途中であっても。全部屋の片付けをし、掃除機をかけ、作業が終わると、普通の生活に戻る。不機嫌の余韻を残しながら。

私は夫の不機嫌に理不尽を感じながらも、一応これなら一緒に掃除をしているし、平等だから、ちょっと大きな声を出されるくらい、我慢しようと思っていた。

その生活は私が子供を産むために仕事を辞めるまで続いた。

専業主婦になってしばらくして、私たち二人の共通の友人に会った時、夫が言った言葉に空いた口が塞がらなかった。

「こいつは全然掃除をしない。散らかっているのを何とも思ってないどうしようもないヤツだ」

それはあんたのことだろ!私が掃除をしていれば自分は何もしないくせに!と言いたかったけど、友人の前で夫婦喧嘩を始めるのも失礼だし、雰囲気悪くなるし・・・と、我慢した。

正直、そんなふうに思われているとはまったく知らなかったので唖然とした。機嫌が悪いのは、部屋が散らかっているのが居心地が悪くなって限界に来たからだと思っていた。そこまで我慢している自分が悪いんでしょ、と思っていた。私に向けられた不機嫌だとは思わなかったし、思わないようにしていた。

なんで私に言わないの?他の人にチクるみたいなことをして。なんで?

夫は、こんなふうに、思っていることを直接言わず、私が反論できない状況で問題発言をする。夫は、事実として私の問題を知らしめることで、私への他人の評価を下げ、私の自己評価を下げていった。

いまだに、掃除は嫌い。
posted by 蝉ころん at 09:28| Comment(2) | 夫との日々 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月04日

大人の私と子供の私

ここでたくさん書いたり、「被害者同盟」に相互リンクをしていただいたり、いただいたコメントを読んだり、子供とお昼寝したりしているうちに、また、冷静な自分が戻ってきました。

危なかった、という気持ちです。

たぶん、夫には、こんなふうに私を追いつめていると言う自覚はないし、こんなことは意図していないでしょう。

でも、こんなふうに、次にくることが想像できていても、実際に行動されるとここまで影響を受けてしまうのが虐待の恐さなんだと思いました。

やっと取り戻してきた自分がまたどこかにいってしまいそうでした。それが一番恐かった。

私は、昔はきちんと自分の問題を理解していました。人に当たり気味なところとか、カーッとなると自分でも自分が制御できなくなって言ってることが支離滅裂になるところとか。

でも、そんなところもしっかり理解して、表面には出さなくても、そんな自分を意識しながら生活できていた。私はちゃんと自分と折り合いを付ける術を身につけていたんだということを、やっと思い出せたところでした。

夫との生活で、私は自分が身につけた自分を大切にするスキルを、どんどん失っていっていたように思います。できていたという事実すら忘れ去っていました。

いじめられていた、子供の頃の記憶がどんどん出てきて止まらなかったのは、そこまで私の精神が退行してしまっていたのでしょうか。実際、子供の頃のように、自分の感情に振り回されていました。

私を振り返っているうちに、もう一度成長し直していたような感じでした。記憶にある、幼稚園時代から小学生、中学生を経て、高校生の、家庭の問題にはっきり目を向けることができた頃まで、やっと辿り着きました。

今は、私の中に、大人が戻ってきています。この大人の私はどこへ行ってしまっていたのか。自分でも不思議な感覚です。でも、夫からの攻撃があると、また大人の私がいなくなって、子供の私がパニックになる。

なんでこうなるのか?私自身を守るためにその必要があるということなんでしょうか?それともこれはフラッシュバックのようなもので、子供の頃のいじめの体験にとだぶってしまっているからなんでしょうか?

とにかく今は、せっかく取り戻した大人の自分を手放さずに、子供の私を守りぬきたいです。そのためにも、しっかり書いて、記録に残しておかないと、と思います。


ーーーーーーーーーーーーー
あれから色々考えて、家計簿はつけることにしました。どっちみち、前から何回かつけたりはしていて、ただ夫がときどき無断でお金を抜いたりすることがあって嫌になってやめていただけだし、しっかり生活費が渡されるなら、それ以外のものを管理する手間が省けてこちらにとって特に不便はないからです。どうやら小遣いは自分でしっかり管理する気になったようだし。これで生活費を削るなり使い道に文句を言われるようならそのときこそ行動のときにすればいい。

落ち着いて考えればたったこれだけのことなのに、こんなに動揺してしまう自分に落胆したりしました。でも今の私はそういう状態なんだと受け止めて、その場で判断しないで冷静になってからの判断を待つようにします。夫の挑発に巻き込まれないで、自分を信用することにします。
posted by 蝉ころん at 14:48| Comment(0) | 近況報告 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年09月01日

なぜコントロールするのか

夫も私も、相手をコントロールしたいという欲求は同じです。

でも動機が少し、違うように思います。

私は、気持ちをこちらに向けて欲しい、私の気持ちを理解して欲しい、私を大切に思って欲しい、という思いが原動力なようです。

私がコントロールしたがっているのは、相手の心。先ほど書いた文では、夫も私の気持ちをコントロールしようとしていることを書きましたが、実はちょっと違う。

夫は、私の本心はどうあれ、気持ちを表した言葉、表に出た部分さえ夫の意に添っていれば、それでいいのです。

夫がコントロールしたいのは、実際の行動、結果です。私が夫に何をしたか。何をするか。内心で何を思っていようが、そんなことはどうでもいい。


私がはっきりと言葉に出さずにコントロールしようとするのは、拒絶される怖れが根っこにあります。求めて、求めて、拒絶される絶望を、小さいころから体に刻み付けられて生きてきたから。言葉を受け止めてくれる人には、話せるのです。夫にも、最初のうちは話せていました。コントロール欲求が出てきたのは、夫に拒絶され始めた頃からです。それまでは、夫を信じて、言葉にしていたのです。


では、夫が言葉に出さずにコントロールするのは?負けたくないから・・・ではないかと思います。言葉に出すと言うことは、お願いをすると言うこと。一時であれ、一部であれ、自分の内心をさらけ出して、下手に出る形になってしまうことが、我慢できない。なぜ俺の方から口をきいてやらなければならないんだ、お前がわからなくてはいけないことだろうが。そんな表情をしています。


もう一つ、コントロールしたくなる時・・・恥の気持ちです。自分に属する人間が常識に添わない行動をとると、自分のことのように恥ずかしくなって、そんなことしちゃいけない・・・!と行動を制御したくなります。これは、私にも夫にもある。家族としては、健全な場合が多い反応かもしれません。

方法にはかなりの違いがあります。

夫は、私を睨みつけたり、怒鳴ったり、罵倒、威圧して制御します。私は夫を説き伏せて、納得の上で自ら制御してくれるようにします。

ただ、これは、私の場合、上下関係が絡んでくると、威圧的になることがあります。学生の頃は後輩に対してしてしまったことがあるし、今は、子供に対してやってしまう。

「本当はこんなことしたくないのに、怒りたくないのに、怒るまで動いてくれないから、怒ってしまうんじゃない、怒られたくなかったら怒られる前にして!」

この時の私はこういう気持ちです。よく聞くセリフに似ています。「怒らせるな!怒らせるお前が悪い!」ハラッサーのセリフです。夫もたまに言います。

このセリフを聞かされて育っていくとこういう思想が根付くのでしょうか。このセリフを受け入れて生きている人間がいると、こういう言葉でコントロールする術を覚えるのでしょうか・・・。


この気持ちの時、さらに自分の気持ちを探って見ました。それで、私はどう思ってるの?でてきた気持ちはこうでした。

「あなたがちゃんとしないと、私がちゃんとさせれてないことになるじゃないの」

これは自己保身ですね。そこに、子供の気持ち、相手の気持ちはありません。むしろ、私自身のことに問題が変わっていて、それで子供の罪悪感を刺激している。たいがいこういうとき、私は時間に迫られて焦っています。バスの時間だから、夫が帰ってくる時間だから。幼稚園や、夫に、「ダメな母」の烙印を押されないために、子供をコントロールしようとしている。子供は私を量るモノになっている。

私は、子供のために、子供が成長した時に、大人として生きていける力がついているよう、その手助けをして導いてやりたい、という思いで、子供を育てています。だから、本当なら、多少片付けができなくたって、着替えが遅くたって、寝間着で食事をしたって、いいはずです。

でも、その時点での私への評価に目を奪われてしまうから、焦ってしまう。完璧を要求してしまう。子供の出来不出来は親次第という見方にとらわれてしまっている。自分の保護下にあるものが言う通りに動かない、私の力のなさを見破られるのを怖がっている。子供がいじめられないため、子供の将来のため、そんな言い訳でごまかしてきたこの気持ち。これも私。他人の評価に身を委ねて、自ら世間体にコントロールされている私・・・。


子供を導く仕事、見守り、手助け、口添え、応援、励まし・・・そんな、親としての責任はあるわけです。バランス感覚の悪い私にとって、このあたり、自己保身なのか、子供のためなのか、という線引きが難しく、渦中にいる時はなかなか冷静になれません。でもなんとかしたい。

カウンセリングで、ひとつ、ヒントになる言葉を頂きました。

「罪悪感は道しるべ」

罪悪感を感じるところには、自分の気持ちを大切にしていない、自分を押さえつけて他人を優先している問題が隠されている、というものです。他人の目を気にして、本来私がしたいと思っている子育てから外れている。そんなふうに考えてみたら、自分の行動を見つめる手助けになるかもしれないと思いました。

コントロール欲求をコントロールする・・・これも私の課題です。
posted by 蝉ころん at 15:01| Comment(0) | 私を探る | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

広告


この広告は60日以上更新がないブログに表示がされております。

以下のいずれかの方法で非表示にすることが可能です。

・記事の投稿、編集をおこなう
・マイブログの【設定】 > 【広告設定】 より、「60日間更新が無い場合」 の 「広告を表示しない」にチェックを入れて保存する。


×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。